日銀体制改革(レジームチェンジ) ~リフレ派の挑戦~

 

2013年3月21日 毎日新聞

(1面)
異端派 金融政策の主流に
首相を支えた知恵袋2人

「あなたは有力な日銀総裁候補になっています」「おお、知ってるよ」
 1月下旬。本田悦朗内閣官房参与(静岡県立大教授)はマニラに本部があるアジア開発銀行総裁の黒田東彦に電話を入れた。元財務官で財務省出身の本田の大先輩、黒田の日銀総裁就任への意欲を確かめるためだ。
 黒田は日銀総裁候補に浮上していることを「大変、光栄だ」と応じた。本田は即座にこの言葉を安倍晋三首相に報告。この時点では元日銀副総裁の岩田一政日本経済研究センター理事長も総裁候補の有力な選択肢に残っていた。しかし、麻生太郎財務相は学者起用に難色を示していた。岩田一政は内閣府出身だが、学者肌。安倍首相の中で黒田総裁起用が事実上、固まった。
 安倍は同世代で政界入り前から親交があり、全幅の信頼を寄せる本田に総裁選びの地ならしを頼んだ。本田は官僚時代に各国の中央銀行幹部と交流する中で「(物価目標導入を拒む)日銀理論は異質だ」との認識を強めた。退官後は大学教授として、金融緩和で世の中に出回るお金の量を増やし、人々にインフレ期待を持たせて物価上昇や経済活性化を目指す「リフレ」政策導入を訴え、全国で講演。安倍から「リフレのレクチャーを受けたい」と連絡が入った昨春以降、「知恵袋」として安倍を支えてきた。
 昨年末、内閣官房参与に就くと、官邸で首相執務室と同じフロアでアベノミクスにかなう総裁候補探しに着手。岩田一政、岩田規久男学習院大教授、竹中平蔵慶応大教授、伊藤隆敏東大教授らの著書や論文、インタビュー記事を過去10年前までさかのぼって調査。日銀の雨宮正佳理事と大阪で極秘に会うなど副総裁候補の「面接」も行った。
 1月下旬、本田は学習院大を訪問。日銀批判の急先鋒で、リフレの効用を主張し続けてきた岩田規久男の教授退職前の最終講義を聞いた。「孤独な戦い」「リフレの効用を15年も言ってきて(なしのつぶてでは)私も怒る」。本田は岩田の言葉に「日銀の体制変革(レジーム・チェンジ)に不可欠な人物」と確信、首相に進言した。

 本田とともに安倍を支えたのが内閣官房参与の浜田宏一エール大名誉教授。安倍から「SOS」が来たのは日銀の白川方明総裁(当時)や野田佳彦首相(同)が安倍の主張に反対、論争になった昨秋。「私の主張をどう思うか」と問われた浜田は「当たり前の処方箋」と応じ、「安倍理論は正しい」と記したファクスを送信。安倍はファクスを手に「勝負あった」と連呼した。
 浜田が次期総裁に求めたのが日銀理論」に染まらない芯の強さ。日米を往復する浜田は、今井尚哉首相秘書官を通じて安倍に「親書」を送り続けた。「ミイラ取りがミイラにならないように、日銀に入っても懐柔されない人を」。浜田が推したのは財務省出身ながら、リフレ政策への理解が深く「頑固者」「一本気」で知られる黒田だった。国際金融の世界で主要国当局者と英語で渡り合った黒田なら、大胆な緩和に伴う円安誘導批判にも反論できる。
 黒田総裁、岩田規久男副総裁。ワシントンでの日米首脳会談翌日の2月23日。首相は宿泊先の迎賓館で浜田に日銀正副総裁候補を伝え、本田には「ありがとう」と電話した。
     
 本田や浜田が唱えるリフレ政策は従来、政府・日銀や学界で「異端派」扱いされた。しかし、日本が10年以上もデフレに沈む中、アベノミクスが登場。一躍脚光を浴び、リフレ派の意向が日銀の新体制を決める原動力にまでなった。20日の「黒田日銀」誕生までの軌跡をたどり、脱デフレに向けたリフレ派の挑戦の課題を探る。

(2面)
「旧体制派葬られた」
安倍人脈 人事を誘導

昨年11月中旬。自民党の安倍晋三総裁は東京都内のホテルで自らを囲む会「晋如会」に出席、東芝の西田厚聡会長ら財界重鎮と向き合った。主宰者は中原伸之元日銀審議委員。速水優総裁下の日銀で、物価目標(インフレターゲット)導入や円高是正に向けた外債購入などを提案し続けた「筋金入り」のリフレ派だ。
 中原は98年の改正日銀法施行後の金融政策を「成功」と「失敗」に分けて評価したペーパーを安倍に手渡した。出席者は安倍が一瞬、はっとした表情を浮かべたのに気付く。07年の第1次安倍政権時の日銀の利上げを「失敗」と記した箇所に目をやった時だった。
 安倍は日銀のレジーム・チェンジ(体制変革)を約束、中原ペーパーを手に会場を後にした。「白川(方明)総裁の任期切れを待っている暇はない」「輪転機をぐるぐる回してお札を刷る」。安倍の日銀批判はエスカレートした。

 政治の金融政策への注文や日銀人事の舞台回しは財務省が行うのが通例。安倍の激しい日銀批判は同省を悩ませた。省内では安倍演説の一覧ペーパーが作られ、幹部が安倍側近議員を訪ねて「日銀から見れば財務省もリフレ派。我々に任せてほしい」と要請した。だが、安倍の日銀批判はやまず、金融緩和拡大を当て込む市場は株高・円安で反応した。「次元の違う金融政策」を公約した安倍自民党は12月の総選挙で圧勝。「晋如会」の一人は「この選挙は(旧態依然の)日銀を葬る国民のクーデター。次はポスト白川だ」とつぶやいた。
 財務省は、5年前の総裁人事で副総裁でありながら、国会の不同意」で総裁になれなかった元次官の武藤敏郎大和総研理事長のリベンジを探っていた。武藤は昨年11月、毎日新聞のインタビューで、大胆な緩和を求める安倍の主張を「理解できる」と明言。財務省幹部はこの部分に赤線を引いた記事のコピーを安倍の下に届けた。ただ、武藤は中原ペーパーが失敗と評価した07年の利上げに副総裁として賛成した人物。
 「武藤さんは立派な方だが、リフレじゃない」。安倍から告げられた側近の一人は「首相が武藤起用に傾いたことはなかった」と振り返る。一方、デフレの元凶とされた日銀は総裁ポストを早々にあきらめ、理事を一人、副総裁に押し込もうと躍起だった。
      
 総裁候補選定の主導権を握ったのは、菅義偉官房長官を中心とする官邸。菅は11月に黒田東彦アジア開発銀行総裁(当時)とひそかに面会するなど「『黒田日銀』を見据えた地ならしを進めていた」(周辺)。菅がこだわったのが野党のみんなの党との協調。正副総裁決定には国会同意が必要だが、与党の自公は参院で過半数に16議席足りない。安倍と菅はみんなの党の渡辺喜美代表と盟友関係にあり、首相周辺は「参院選後のみんなの党との連携を探る狙いもあったのでは」と推察する。
 安倍は1月19日、渡辺と官邸近くのホテルで会食。渡辺から岩田規久男や竹中平蔵、中原伸之ら5人の総裁候補リストを「逆提案」された。渡辺の本命は中原で、岩田規久男を入れるのに迷いもあった。日銀法改正で考え方に微妙にズレがあったからだ。しかし、みんなの党と協調できる現実的な候補を探る安倍の思いを察し、「あうんの呼吸」でリストの5番目に岩田を入れた。岩田の日銀入りが固まった瞬間だ。
 
 旧大蔵省出身で、国会で歴代日銀総裁とリフレ論戦をしてきた山本幸三衆院議員も安倍の日銀変革を後押しし続けた。山本は派閥の異なる安倍と元来親しくなかったが、11年の東日本大震災を機に接近。「もう一度、天下(首相)を目指すなら日銀改革を訴えるべきだ」と進言した。安倍はこれに乗り、超党派の「増税によらない復興財源を求める会」会長に就任。政府と日銀が政策協定(アコード)を締結し、復興国債の日銀引き受けを求める声明を発表した。
 山本は安倍をトップとする日銀改革の勉強会を次々とつくり、リフレ派の旗頭に押し上げた。安倍政権と日銀は1月、物価目標2%を目指す共同声明を発表したが、山本は「日銀を甘く見てはいけません」とメール。安倍は経済財政諮問会議で物価目標の達成状況を厳しく点検する考えを示した。

 リフレ派は「今度は我々が主流」(山本)と「黒田日銀」に期待する。同時にリフレ政策がどこまで徹底されるのかとの警戒感も残る。正副総裁候補決定直前の2月中旬、都内のレストランで開かれた岩田規久男学習院大教授の定年退職をねぎらう会。山本や中原、本田悦朗内閣宣房参与らが集う「リフレの巣窟」のような会合となったが、出席者からは(リフレに懐疑的な)中曽宏副総裁ら日銀生え抜きの反撃を警戒する声や、円安誘導批判に配慮し、外債購入に慎重な黒田総裁に不満を示す声も出た。(敬称略)