2013年4月14日 日本経済新聞
永田町インサイド
安倍晋三首相の高い支持率を支えるアベノミクス。その「第1の矢」である大胆な金融緩和の「仕掛け人」と呼ばれるのが自民党の山本幸三衆院議員だ。日銀批判一本やりで長らく異端児扱いされてきたが、議連の活動を通じて首相に説き続けたリフレ政策が脚光を浴びている。円安・株高で今はおとなしい野党の論客たちも、バブル経済の再燃や家計の負担増に批判の照準を絞り反転攻勢を狙う。(文中敬称略)
2日の衆院予算委員会はさながら指導教官による学生への口頭試問のようだった。
山本「金融政策でデフレは脱却できないという批判への反論は何か」
安倍「(アベノミクスを批判する人は)中央銀行がデフレ脱却にできることはないと書きながら、中央銀行が国債を買えばインフレになるとも書いている。矛盾する」
山本「おっしゃる通りだ」
合格点をもらった安倍は 「この2年間、山本議員からご指導いただいている」と謝意も述べた。
2人の接点はまだ新しい。2011年3月、東日本大震災の復興財源をめぐり、山本は「国債を20兆円発行し、日銀に引き受けさせるべきだ」と主張する議員連盟の設立に動いていた。そこへ安倍が日銀を批判しているとの報が入る。山本は安倍を訪ねた。『議連会長になってほしい。あなたならデフレから脱却できる。『経済の安倍』を新しい売りにして、もう一度首相をやってほしい」。山本は安倍を会長に担ぎ、嘉悦大教授の高橋洋一、学習院大教授(当時)の岩田規久男、米エール大名誉教授の浜田宏一らリフレ派の論客を講師に招いて安倍の理論武装を支えた。
安倍にはリフレ派に共鳴する素地があった。高橋は第1次安倍内閣で首相補佐官補を務め、退陣後も安倍に「電話やメールで時折金融政策を説明する」という間柄。渡辺喜美、塩崎恭久、菅義偉とともに「アビーロードの会」と名付けた会合でも集まった。浜汨は父、晋太郎が提唱した国際交流基金の奨学金「安倍フェロー」で金融政策の失敗を研究したという縁があった。
当初は「山本さんの政策を信じていいのかな」と周囲に漏らしていた安倍は今「山本さんの主張が正しいという確信に変わった」とまで言う。歴代総裁を批判 山本の日銀批判はゼミの恩師である東大名誉教授、小宮隆太郎が1970年代に「高インフレの責任は日銀にある」と主張したころにさかのぼる。93年に初当選し、1回生の時から当時の日銀総裁、三重野康に国会で論争を挑んだ。金融危機が起きた98年には総裁だった速水優に「なぜもっと早く金融緩和できなかったのか」と国会で問い、2000年のゼロ金利政策解除の際は「弊害も出ている。総裁、退任される意向はないか」と迫った。
昨年の衆院選は手応えがあった。「安倍総理になれば私の政策が生きる。デフレから脱却し、株も上がる」。古い支持者が「今までで一番面白い演説だった」と拍手した。 山本に対する党内評は「政策通だが政局観がない」。当選6回でとうに入閣適齢期だが、政府の役職は経済産業副大臣まで。昨年の総裁選では安倍に投票したものの、同じ派閥の林芳正の推薦人に名を連ねていた。衆院選後に安倍から提示されたポストは党日本経済再生本部の事務局長。入閣はかなわなかった。
アベノミクスがつまずけば、リフレ派むしばむ。山本の「舂」はいつまで続くだろうか。(永井央紀)