風見鶏 「アベノミクスの今昔」

 

2013年5月12日(日) 日本経済新聞

 

中川秀直・元自民党幹事長はアベノミクスの名付け親だ。

 2006年に第1次安倍晋三内閣が発足した直後の衆院各党代表質問。幹事長だった中川氏が「今回の安倍内閣の布陣は、経済成長と財政再建は矛盾するものではないとの安倍経済政策、アベノミクスの基本哲学をひしひしと感じる」と指摘したのが最初である。

 中川氏は自民党内で、経済成長と小さな政府を志向する「上げ潮」派の代表格だった。中川氏の造語であるアベノミクスは上げ潮路線とほぼ同義だ。

 中川氏によれば、自民党のシンクタンクを使って日本経済の高成長の可能性を追求させた安倍氏こそ「上げ潮」派の頭目となる。

 この代表質問で中川氏は「成長戦略の第一歩はデフレからの完全脱却であると考える」とただしている。安倍氏は構造改革の成果などを挙げて「未来の明るい展望が開けてきた」と応じつつ、日銀に対しては「引き続き金融面から確実に経済を支えていただくことを期待している」と述べるにとどまっていた。

 当時の日銀の政策に違和感を抱きながらも、安倍氏がリフレ派に転じる前のアベノミクスには、金融政策の視点は乏しかった。郵政民営化造反議員の復党で構造改革路線がぼやけ、道路特定財源の一般財源化も切り込み不足で、第1次安倍内閣の経済政策の評価は芳しかったとは言い難い。アベノミクスも人口に膾炙(かいしや)しなかった。

 成長戦略重視の中川氏は今のアベノミクスについて「最低限、戦略特区は実現しなければいけない。3本の矢の一番の中心はこれだ。最終的には首相の決断になる」と力説する。既得権を守る勢力の抵抗で、特区が骨抜きになりそうな現状に懸念を強めている。

 中川氏が名付け親なら、金融緩和を第1の矢に据えたアベノミクスのスポークスマンを自称するのが自民党の山本幸三衆院議員である。安倍氏を議員連盟の会長に担ぎ出し、リフレ派に染まらせた。

 第2次安倍内閣がロケットスタートを切り、国内外の金融機関関係者が頻繁に山本氏を訪れる。日銀批判の急先鋒(せんぽう)が一躍、時の人となった。

 山本氏は3年前の野党時代に「日銀につぶされた日本経済」という日銀批判本を出版した。

 09年衆院選で自民党が大敗したのは、長年のデフレで国民生活が貧しくなったことが原因であり、これを放置した日銀の責任は重いという問題意識で書かれている。自民党再生にはデフレ脱却策が必要だとして、インフレ目標の導入を強く訴えていた。’

 「時代が私に追いついてきた。金融緩和の第1の矢は満点だ」。黒田体制の日銀と蜜月関係になった山本氏は、日銀法改正を求める議員連盟の活動をペースダウンさせる考えだ。日銀をけん制する必要性が薄れたからで「黒田体制がかわる前ぐらいに法改正できればいい」という。

 山本氏は「アベノミクスは第1に金融政策、第2に金融、第3に金融」と唱え、金融緩和がなければ財政出動も成長戦略も効果がなくなると強調する。

 アベノミクス効果で株価、内閣支持率、政党支持率の「3高」が続き、歴史認識問題を巡る首相発言を除けば、安倍政権に死角らしい死角は見あたらない。

 「民主党はだらしないし、参院選も自民党の圧勝だ」。山本氏は自信満々でこう語る。2ヵ月後に迫った参院選では、デフレ脱却に向けた政策体系の提示が一番の選挙対策になるという山本氏の主張が、実証されそうな気配である。

 
(編集委員 西田睦美)