2014.11.21, By Eleanor Warnock (Wall Street Journal)
<日本語版>
【東京】タンゴ好きの山本幸三衆議院議員(66)は今週、勝利のダンスを踊っている。15年に及ぶデフレからの脱却に向けて、同議員の盟友である安倍晋三首相が何でもやるという決意を再び示したからだ。
山本氏は日本の政界で目立つ存在だが、それはフランス製のピンク色の派手なネクタイのせいだけではない。同氏が提唱する急進的な政策のせいでもある。このアイデアが主流になるずっと以前から同氏は「リフレ推進」政策を提唱していた。中央銀行である日銀に大量の資産を購入させたり、インフレ目標を設定させたりする政策だ。
それは今や政府のオフィシャルな政策になっている。そして18日、山本氏の当面の仕事は片付いたようだ。安倍晋三首相がこの日、消費増税の先送りを表明したからだ。安倍首相は、10年前の山本氏の言っていたように、増税は「デフレ脱却を脅かす」と述べた。
山本氏は今週のインタビューで、「アベノミクスが原点に戻った」と述べ、「デフレから脱却できなければ、他に何もできない」とデフレを終わらせる重要性を強調した。
同氏は、元日銀マンやエコノミスト、議員などによって構成されるリフレ推進グループの一員だ。彼らは、リフレ推進のための戦いを政治綱領として2年前の総選挙に勝利し、安倍氏の政治キャリアを復活させた。
安倍、山本の両氏は2011年に交流を深めた。この2人の組み合わせは自然発生的なものではなかった。安倍氏は、父親の選挙区を受け継いだキャリア(職業)政治家で、防衛への関心とタカ派な考え方を持つことで知られていた。山本氏は、大蔵省(現財務省)出身で、中央銀行の政策が気になって頭から離れない人物だった。
両氏スタイルも異なる。ファッションに無頓着な安倍氏は、通常保守的なスーツを、ゴルフコース上ではゴルフウエアを着ている。一方の山本氏は美食家でイタリア料理を好み、高級陶磁器やタンゴのレッスンが好きだ。タンゴを披露するとき、白いスーツを着たこともある。
両氏が共有するのは、のけ者の感覚だ。第1次安倍内閣は悲惨な最期を迎えた。健康問題と閣僚のスキャンダルで発足からわずか1年後の07年に退陣を余儀なくされた。一方、山本氏は国会で日銀関係者を長年追及し、金融緩和を求めたがほとんど成功しなかった。この間、コーネル大学経営大学院の卒業生である山本氏は、ウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューで、官僚と日銀関係者が「怠惰」で「無気力」かつ「反抗的」だと憤っていた。
山本氏らリフレ推進陣営は、安倍氏に接近し、日本が20年の停滞から脱却するには、もっと野心的な中央銀行と円安が必要であると安倍氏を説得した。
11年の東日本大震災後、山本氏は安倍氏を、超党派の「増税によらない復興財源を求める会」の会長に招いた。この会は被災地域を復興する資金を増税ではなく、特別債でまかなうべきだと主張した。また、中銀問題を話し合う勉強会を行った。
安倍氏はその翌年、デフレと闘うことを政治綱領に掲げて総選挙で圧勝した。安倍氏は勉強会のメンバーの一部を首相官邸に引き入れ、中銀により果敢な政策を求めるようになった。そして13年3月にリフレ派の黒田東彦氏が日銀総裁になり、翌月に資産を買い入れて経済にカネをあふれさせる「バズーカ」を放った。2%のインフレ目標を達成するためだ。
それは非常にうまくいった。このため、山本氏は経済が増税を乗り切れる可能性があると思った。増税は通常、リフレ派にとって鬼門だ。安倍首相は今年4月、消費税を5%から8%に上げた。すると経済は急速に落ち込んだ。
山本氏はそれまで、消費税を来年10%に引き上げるのを支持していた。だが9月のインタビューで、山本氏は「景気は回復しているが、回復ペースが少し遅い。だから、これ以上の逆風をおこさないことが最善だ」と述べた。同氏が心変わりを公に表明したのはこれが初めてだった。同氏は「輸出が私の予想ほど伸びていない」と指摘した。
一度ギアを入れ替えると、山本氏は全力で新たな立場を押し進めるため、増税の先送りを推奨する別の会を立ち上げた。山本氏は10月にこれを立ち上げ、「アベノミクスを成功させる会」と名付けた。そして1カ月もしないうちにその通りになった。
18日の午後、山本氏は、意気揚々と首相官邸に入った。赤紫色のネクタイ、白と青のストライプのシャツに紺色のブレザーを身に着けていた。同氏は安倍首相と15分間面会し、勉強会の提案書を手渡した。
この中には増税を1年半遅らせる提案があった。安倍氏がこれを採用したのは、そのわずか数時間後だった。また提案書には、世帯支出を支えるための3兆円の景気刺激策も盛り込まれていた。
山本氏は「消費増税を17年4月まで先送りすれば、日銀は2%のインフレ目標を達成しているはずだし、実質賃金も上がっているだろう」と述べ、「それまでは、デフレ脱却を危うくしてはならない」と付け加えた。