平成23年4月5日
衆議院議員 山本幸三
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私が提言した「20兆円規模の日銀国債引き受けによる救助・復興支援を」という案に関連し、民主党の東日本大震災からの復旧・復興を目指す基本法案素案の中に「震災国債を発行し、日銀引き受けも検討」と明記されたと報道されたのでこれは一歩前進したなと喜んだのだが、案の定直ちに日銀・財務省マフィアが動き出し絶対反対の烽火(ノロシ)を上げ始めた。「日銀・財務省マフィア」というのは同僚議員の造語だが、言い得て妙だと思うので多少の語弊はあるかもしれないが、使わせて頂く失礼をお許し願いたい。その意味するところは、「日銀の行益や財務省の省益を擁護するために一致結束して発言・行動する人達」のことで、日銀・財務省の幹部・OBはもとより政治家、実業家、マスコミ、学者の一部まで幅広いネットワークを形成している。彼等の「日銀引き受けに反対する論拠はいずれも身勝手で的を外れたもの」でありそのことは以下で詳しく論証するが、それでも彼等の影響力は大きくこのままでは押し切られかねない。唯一希望が託せるのは菅総理しかいないが、菅総理に日銀・財務省マフィアの圧力に打ち克つだけの政治的英知と決断力があるかどうか、鼎の軽重が問われる正念場である。その際の拠り所は、「日銀・財務省の行益・省益を守るのか、それとも被災者の生命・財産、国民の生活を守るのか」という判断である。菅総理に是非とも期待したいものだ。
2
日銀が反対するのは、よく分かる。自分達の裁量権を奪われるからだ。今の日銀は、国際標準とは程遠く、目標設定の自由も手段選択の自由も完全に手中にしているオールマイティーの存在なのだ。目標がはっきりしていないから責任を問われることもない。日銀にとっては今の体制が最もハッピーで、「これを壊す日銀引き受けなど、とんでもない」という訳だ。
白川総裁は「国債直接引き受けの禁止は国際標準。異例の政策は通貨の信認を失墜させる。」と反対の理由を述べている。しかし、それなら先日の財務金融委員会で私が指摘した「借換え債で毎年日銀直接引き受けを行っていること」をどう世界に説明するのか。国際標準、国際標準というが、「物価安定(インフレ)目標政策」という国際標準は絶対認めないくせにこのときばかりは国際標準を持ち出すというのは、日銀の二枚舌もいい加減にしてもらいたいというのが率直なところだ。「通貨の信認の失墜」という指摘も実体のない空理空論だということは財務金融委員会での議論を紹介した(アピールNo3)で詳述したところなので、ここでは繰り返さない。要するに、「日本人が円の使用を止めることはないのだから下手な脅しはお止めなさい。」ということだ。
3
財務省は、今回の大震災を増税に風穴を開ける絶好の機会と踏んでいるようだ。したがって、増税しなくても十分な財源が調達できる「日銀の国債引き受け」という妙手に国民の目が向かわないようにするということで、日銀と利害の一致をみたのだ。
財務官僚が財政の健全化を重視し歳出の削減ないしは増税を考えるのは至極当然であるが、問題は、彼等の思考経路の中に「マクロ経済学の観点」が抜け落ちていることだ。増税でマクロ経済がどうなるかなど関係なく、政治的に可能なときに増税を国民に呑ませるということが最優先事項なのだ。大震災で巨額の復興財源が必要となり、何となく復興税という形で増税も止むを得ないのかなという雰囲気が生まれている今こそがチャンスなのである。この千載一遇のチャンスを活かすためには、「日銀の国債引き受け」などという奇手妙手は何としても防がなくてはいけない。国債の市中発行ならいずれは増税につながることなので容認できるが、「日銀引き受け」となると増税と無関係になるので決して許してはならないのだ。
財務省は、「国債の日銀引き受けが可能」であることを国民に知られるのが余程嫌なのだろう。私が3月25日に財務金融委員会で「借換え債で毎年やっているではないか」と指摘したところ、財務省サイトにあった「今年度の国債発行は、新規44.3兆円、借換え債111.3兆円、財投債14兆円、計169.6兆円。これらを金融機関や個人が157.8兆円、日銀が11.8兆円消化。」とのデータを消去してしまった。全く姑息なことを企む連中だ。
野田財務相は、完全に財務官僚に取り込まれてしまったようだ。「財政法は過去の歴史の教訓を踏まえた重い規定」として否定的だ。しかし、この歴史認識は完全に誤っている。「国債の日銀引き受け」は1932年に高橋是清蔵相が断行したことがあるが、以降4年間の日本経済は実質成長率7.2%、インフレ率2%、長期金利は若干低下、株は大幅上昇、そして円安と最高のパフォーマンスだったのだ。おかしくなるのは、1936年2月26日に高橋が暗殺されて後任の馬場瑛一蔵相が軍部の圧力を押さえ切れなくなってからだ。野田氏の発言は、「今の日本でもかつての軍部のような圧力団体が存在し、自分はその圧力に抗しきれません。」といっているのと同じで情けない。
4
(1)
(2)
(3)
(4)
「通貨の信認が失われる」という議論は、先述したように前回の(アピールNo3)で論破したので、省略する。
5
残されたのは「財政規律」ということだが、これは結局のところ「日本の財政は破たんするのか、財政の持続可能性はあるのか。」という問題そのものなので、その重要性から項を改めて検討してみたい。
日銀・財務省マフィアは「日銀引き受けは財政の持続可能性を失わせる。」といいたいのだろうが、私は「全く逆だ。」と考えるのだ。ここが、マクロ経済学的に考えるか、そうでないかの違いが生ずるところなのである。
財政が破たんする、財政の持続可能性が失われるとは、政府債務残高のGDP比が発散するかどうかによるだろう。その政府債務残高のGDP比が発散するかどうかは、「基礎的財政収支のGDP比」と「名目成長率と名目金利の差」に依存するだろう。ここまでのところは、誰にも異存はあるまい。
さて、そこで基礎的収支が一定であれば、名目成長率が名目金利よりも大きければ、政府債務残高のGDP比は次第に低下するし、逆に名目成長率が名目金利よりも小さければ、政府債務残高のGDP比は発散する。この名目成長率が名目金利よりも大きいという条件を、「ドーマー条件」という。オーストラリア、ニュージーランド、スェーデン、イギリスなどのインフレ目標政策採用国は、いずれも「ドーマー条件」を満たして財政の持続可能性を維持しているのに対し、日本は大きく下回っている。
次に「ドーマー条件」を満たしていなくても、基礎的収支のGDP比が毎年プラスであれば、政府債務残高のGDP比は発散しない。ドイツは「ドーマー条件」を大きく割り込んでいるが、平均的に見て基礎的収支のGDP比がプラスであることによって、財政の持続性を維持している。
このように財政の持続可能性を確保するには二つの方法があるが、注目すべきことは、どちらの方法にも「名目成長率」が大きな役割を果たすということである。「名目成長率」と「ドーマー条件」の相関係数を求めると0.8であり、「名目成長率」と「基礎的収支のGDP比」の相関係数は0.7である。後者の場合、名目成長率が上がると税収が上がるからである。
以上の事実からいえることは、「財政規律を保つ、財政の持続可能性を高める」ためには、名目成長率が上昇するような政策を採らなくてはならないということだ。この観点から今次の大震災の復旧・復興のための財源策を比較検討してみると、どのようなことがいえるか。
デフレで需給ギャップが大幅に存在する上に大震災という深手を負った中で、増税すれば、消費が一層冷え込み、名目成長率と実質成長率は一段と低下する。そのため、むしろ税収は伸びず、財政は改善しない。
国債の市中発行で賄おうとすれば、金利は上昇、一層の円高が進み、これまた名目成長率は落ち込むことになり、財政は改善しない。阪神・淡路大震災の後に猛烈な円高が襲ったことを想起すべきだ。
これらに対し、「日銀引き受け」で賄った場合、デフレが終息、緩やかなインフレ状況になり、名目成長率が上昇、円安も加わって財政はむしろ改善することが期待される。こうしたことから、マクロ経済学的観点からは、「日銀引き受けの方が、財政規律の向上、財政の持続可能性を高める。」といえるのである。
日銀・財務省マフィアの議論では、こうした「財政規律、財政の持続可能性とはどういうことを意味しているのか」がはっきりしていないので、説得力がない。批判のための批判をしているとしか思えないのである。
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(以上)