政策レポート

誰が「日銀の独立性」を歪めたのか!(2008.4.14)

誰が「日銀の独立性」を歪めたのか!

2008.4.14
衆議院議員  山本幸三

 

1 4月9日、白川方明副総裁の総裁昇格という形で、もめていた日銀総裁人事がようやく決着した。しかし、政府が提示した渡辺博史前財務官の副総裁就任には、民主党が同意せず、二つある副総裁ポストの一つは空席のままである。国際金融危機が深まる中、長引いた迷走劇は大きな禍根を残したといえよう。害の最たるものは、中央銀行を政治の場でもみくちゃにし、その信認と独立性を傷つけてしまったことだ。とくに「日銀の独立性の確保」を総裁、副総裁選任の第一条件としていた民主党が、自分の党内の主導権争いの中で、この「独立性」を最も貶めたのは皮肉としか言いようがない。これほど中央銀行が馬鹿にされたことは、先進国の歴史の中で例がないのではないか。私は、これまで日銀の金融政策を厳しく批判してきたが、これも、それなりにしっかりした日銀の体制あったればこそで、これほど手負いで出発する白川日銀に対しては、同情が先に立ちついつい批判の矛先が鈍ってしまうではないか。

2 白川方明新総裁は、私の古くからの友人である。大学のゼミ(小宮ゼミ)の一年後輩で、日銀に入ってからも親しく付き合ってきた。ただし、金融政策に対する考え方は正反対で、彼は「伝統的な日銀原理主義者」で金利は上げておかなければならないと考えているようだ。したがって、景気回復もデフレ克服も遠のいたし、株価の大反転も期待薄と覚悟すべきだ。  
 彼は元々はそういう立場ではなかったと思うが、速水総裁時代に理論武装を行う役割を担い、「日銀原理主義者」に転向したようだ。1979年、私が大蔵省の国際金融局で第一回東京サミットの準備をしていた頃、丁度彼がシカゴ大学留学から戻り、「マネタリーアプローチ」という新しい為替理論を勉強してきたというので大蔵省に招き講演してもらったことがある。マッキノンが提唱していた理論で、簡単に言えば「為替レートはマネーの量で決まる。」というものである。その意味では、当時の彼は「マネーの量が大事だ。」と考えるマネタリスト的だったと思うのだが、いつの間にか「マネーの量は意味がない。重要なのは金利だ。」という「伝統的な日銀原理主義者」に変わっていたという訳だ。  
 ところで余談だが、彼は私の地元の北九州の出身でもある。彼のお父さんは(株)TOTOの社長さんでもあった。ただ、社長になって1,2年で急死されたので、このことを知る人は多くない。  
 彼とは、このように金融政策の考え方については真っ向から対立しているが、人格的には真面目で誠実な人なので、個人的な付き合いが壊れるということもない。議論では対立するが、仲はよいという不思議な間柄だ。1年半前、彼が日銀を辞めて京大教授になった際には、早速連絡を取って、福岡で毎月やっている私の勉強会に講師で来てもらったほどだ。

3 民主党の対応で最も奇妙だったのは、渡辺博史副総裁候補の不同意である。当初、鳩山幹事長などは、固有名詞を上げて「武藤氏など財政畑出身の次官経験者は財金分離の観点から駄目だが、渡辺氏など国際金融に強い財務官出身者なら総裁でもよい。」とはっきり言明していたのだから。民主党内は若手を含め9割は渡辺副総裁容認と伝えられたが、最後は小沢氏の鶴の一声で潰されたという。ここまでの無理を小沢氏が何故押し通したのか、政治的には極めて興味深いところだ。来るべき政局の緊迫時に自分のリーダーシップにどれだけの人が付いてくるか試してみたのだという観方があるが、どうだろうか?しかし、そうした予行演習に日銀人事が使われただけだとしたら、日銀は全く哀れというしかない。それとも我々の与り知らない隠された真実が何かあるのだろうか?  
 いずれにしても、このことによって民主党内に生じた亀裂は大きい。若手は、小沢氏が進める対抗路線で近々福田総理の退陣か解散・総選挙が有りうるかもしれないということで今は団結せざるを得ないという雰囲気のようだが、福田総理が問責決議が出たとしてもこれを無視してしまったら困ることになる。9月には民主党の代表選が行われるが、若手から対抗馬が出てきたとき小沢氏はどうするか。福田総理からすれば、当然この時の民主党内の混乱を見てから解散を考えても遅くないと判断しているはずだ。

4 「日銀の独立性」というのは古くて新しいテーマだが、制度的には新日銀法で十分に確保されている。しかし、制度的に整っているからといって国民が本当にこれを受け入れているかどうかは、別問題である。国民が受け入れるためには、日銀の金融政策の実績が国民を納得させるものでなければならない。  
 この点からいえば、日銀の実績はお粗末であり、国民は日銀を本当の意味で信頼していない。この20年間バブルを引き起こし、今度は逆にデフレを長引かせてきたという失敗の歴史を重ねてきたからである。いくら法律で「独立性」が担保されているといっても、実績で信頼を勝ち取らなければ本物にはならないのである。  
 このことは、白川新総裁は十二分に理解しているようだ。就任会見でも、そういう趣旨の発言を行っている。問題は、このバブルの発生やデフレの長期化をもたらした責任者の一人が白川氏その人だということだ。とくに速水総裁時代のゼロ金利解除や福井総裁のいわゆる「金利正常化路線」を理論面で支えた張本人だからだ。ここまで凝り固まった姿勢を180度転換させることは不可能だろうから、今後も「金利正常化路線」を堅持していくものと思われる。そうすると、デフレ脱却はいよいよ遠のき、日本経済は長期の低迷にあえぐことになるだろう。白川氏が立場を大きく変えない限り、日銀の実績は、今後とも評価されなくなる可能性が高いと私はみている。  
 ところで「独立性」については、もう一つ重要な論点がある。「独立性」といえば、何でもかんでも自由だと思う向きもあるが、実はそうではない。欧米では、「目標」と「手段」とに分けて、「目標」は政府独自か共同で決めるが、「手段」については完全に中央銀行に任せるというのが一般的である。インフレターゲット政策を採用しているところが、そうである。「目標」とする「インフレ率」は政府が決めるか、政府と中央銀行が共同して決めるが、それを達成する「手段」は完全に中央銀行の裁量に任せられるというものである。  
 この点についても、民主党の議論はおかしかった。彼等は、武藤候補に対し、「低金利政策を遂行したから」とか「国債買い切りを増やした」からなどといった批判を行ったが、私からみると、これは「手段」の話であって、これを論うのは、どこの国でも中央銀行の専権である「手段」に介入するということで、最も「独立性」を侵すことになると思うのだ。民主党の議員の皆さんには、こうした議論の整理がなされていなかったのだろうか。さらに、「国債買い切りはけしからん」と批判したが、この政策こそ5年前に民主党がデフレ克服策として強く提唱した政策だったのだから、お笑いでもあった。

5 白川日銀は大きな荒波の中をようやく船出した。その出発の経緯から、白川総裁はハンディを背負っているといえよう。まず彼自身が、本来副総裁だったのに、政治の妥協でタナボタ式に総裁に昇格したに過ぎないという印象を持たれ続けるだろうからである。この印象を払拭出来るかは余程思い切った政策転換が打ち出せるかどうかにかかっている。  
 第二に、白川氏は学者肌で政治的リーダーシップに欠ける面があると思われる点が心配だ。順風万帆の時ならいざしらず、今日のような国際金融危機時には政治的駆け引きも必要となってこよう。あるいは、政界からの強いプレッシャーもかかってこよう。「独立性」というのは、「政府」からの独立をいうのであって、どこの国でも議会や政治家からの独立というのは有り得ないのである。  
 私は、こうした杞憂を吹っ飛ばす最大のポイントはこの4月30日の金融政策決定会合で、少なくとも0.25%の政策金利の引下げに踏み切ることが出来るかどうかだと考えているが、白川氏にそれだけの度胸があるだろうか、大いに見物である。

(以上)