政策レポート

映画「シッコ」(マイケル・ムーア監督)の衝撃  (2007.9.25)

 

映画「シッコ」(マイケル・ムーア監督)の衝撃 (2007.9.25)

衆議院議員 山本幸三

1 映画「シッコ」は、アメリカの医療保険制度の問題点を抉り出した作品である。マイケル・ムーアという監督は、「華氏911」でも凄いなと思ったが、この「シッコ」はもっと凄い。天才と言わざるを得ない。私は、この映画を観て、このところずっと考えていた「グローバル化や市場経済化の進展によって日本人の社会的連帯感や共同体意識が失われ、個々人が直接リスクを負わざるを得なくなっている状況を何とかしなければならない。」という認識を再確認し、その基本は「日本の国民皆保険制度」を絶対に崩してはならないことにあると確信した。このメールマガジンが配送されるころには「福田総理」が誕生していることになるだろうが、21日の福田候補と中堅議員との懇談会の席で、私はこのことを福田さんに直接訴えた。福田さんは、深く肯きながら聞いておられたので、新福田内閣ではその芽が少しでも出てくるのではないかと期待している。

2 「シッコ」とは、「病人」という意味と「(病的な)変態野郎」という意味があるそうだ。まず事故で指を2本切断された中年の大工が登場する。医療保険に入っていない彼に、医師は聞く。「薬指をくっつけるのは1.2万ドル。中指は6万ドル。どちらにしますか?」と。大工は安い薬指を選ぶしかなく、今の彼の手に中指は無い。
 アメリカには国民皆保険制度はなく、低所得者と高齢者を除いては全て民間の医療保険しかない。保険料の払えない人も多く、無保険者が4700万人(映画では5千万人と言っていた。)居るという。この無保険者の悲惨な状況は容易に想像がつくので、当初この映画は、これら無保険者の実態を描いているのだろうと想像していた。しかし、ムーアの意図は違った。そうではなくて、残り2億5千万人の保険に入っている人の物語だというのだ。一体どういうことだと面食らっていると、次々と保険加入者であるにも拘わらず治療を拒否される人達の悲劇が画面で紹介される。何故拒否されるのか?それは、保険会社が利益を上げるために色々な難癖をつけて保険金を支払わないようにする、つまり治療を拒否するからである。

3 50代の夫婦。夫が心臓発作を起こし、妻はガンを患った。彼らが加入しているのはHMO(健康保険維持機構)と呼ばれるタイプ。医療費を抑えるために考案されたマネージドケアーといわれる健康保険システムの内、最もチープでポピュラーだが、問題が多いもの。保険会社が指定した医者以外の診療は受けられないし、自己負担も大きい。この夫婦は、自己負担額を払いきれなくなり破産。自宅を売りに出し、子供夫婦の地下室に肩身の狭い思いをして移り住むことを余儀なくされる。子供から非難されて、「自分達はこれまで真面目に働いて頑張ってきたのに、どうしてこんなことになるのか。自分達の人生は一体何だったんだろう。」と泣きじゃくる母親の姿は正視出来ない場面だった。
 骨髄移植で命が救われるかもしれない、重病の夫を抱える妻。彼の弟の骨髄がマッチすると判明し大喜びしたにも関わらず、保険会社がなかなかお金を下ろしてくれない。待っている内に夫は死んでしまった。夫は黒人で妻は白人。「夫が黒人だったからなのか?」と、良き夫で、良き父だった愛する男性の写真を手にして、彼女は涙を止めることが出来ない。
 「シッコ」には、まだまだ沢山の悲劇が登場する。病院をたらいまわしにされた末に死んだ子供もいれば、支払い能力が無いからと路上に放置された女性もいる。中には、余りに馬鹿馬鹿しくて悲劇を通り越して喜劇になるケースもある。標準より痩せすぎているという理由で保険加入を拒否されたり、医師がガンだと言うのに、「あなたの年齢でそのガンは有り得ない」と保険会社が決め付けたりすることもあるのだ。

4 どうしてこんなことになってしまったのか?ムーアは70年代のニクソン政権時代に遡り、アメリカの健康保険制度が悪化していった事情を振り返っていく。その背景には、利益率アップを至上命題とする民間保険会社、そして彼らから高額の献金を受け取る政治家達の姿がある。90年代ヒラリー・クリントンが「政府が運営する国民皆保険制度」を導入しようとするが、「公的医療保険制度は官僚的であり社会主義への第一歩だ」という恐怖を煽るようなキャンペーンが、医師会、保険会社、製薬業界などによって大々的に行われ、潰されてしまう。マッカーシズムの名残があるのか、「社会主義的だとか共産主義的だ」と言われると、アメリカ人は思考停止してしまうようだ。その後ヒラリー自身も、保険会社からの献金を受け取るようになる。  
 保険会社は、もっともっと利益を上げるよう、つまり、保険料を払わないように努力し続ける。保険料を必要とする加入者がいれば、無理矢理にでも、加入者が加入時に過去のある病歴を隠していたとほじくり出すべく専門の担当者を送りつけて断固として金を払わないようにする。この仕事をやったことがある男性は、「病歴が存在しなくたって構わないんだよ。それでも拒否する方法がある。」と語り、そして、「今、その仕事をやっていないことが嬉しい。」ともつぶやく。
 医者も保険会社の意向に逆らえない。保険会社に勤務し、加入者にその治療を認めるかどうか決める医療審査医という医者がいる。映画の中で元ヒューマナ(前出/HMO)の医療審査医、リンダ・ビーノは、「入社した時に、10%は絶対に拒否しろと言われた。入社後も他の医療審査医がどれだけ拒否率を保っているかと比較され、高ければ報酬も上がった。」と、その実態を暴露している。

5 果たして他の国はどうなのだろう?ムーアは次にカナダ、イギリス、フランスを訪ねる。シングルマザーのアメリカ人が、カナダ人の男性に頼んでガールフレンドということにすると、カナダの病院ではタダで医療を受けられるのだ。カナダでは指を5本切断された男性に医者は当然のように全部の指を付けてやる。薬指か中指か選択を求められたアメリカ人大工のケースと大きな違いだ。相互扶助だよとカナダの指導者は強調する。
イギリスでは、NHS(国民保険サービス)の運営する病院では、全てタダだ。どこかに金を払う場所があるはずだと歩き回り、「キャッシャー」という看板を見つける。ここだと思ってじっと見ていると、そこでは逆に患者に交通費を払ってやっていた。イギリスでは、患者から金を取るのではなくて、患者に金を渡してあげていたのだ。医者達も、「人生を楽しむ十分な報酬を得ているよ。」と満足そうだった。イギリスでは、トニー・ベンという、かって労働党で名を馳せた老政治家にインタビューする。ベンは、「民主主義というものは面白いもので、国家が為すべきものを為さなかったなら、簡単に国民生活は崩壊していくものだ。相互扶助の精神が大切だ。」と述べていた。
フランスでは、もっと進んでいた。外国人でも一律20ユーロ程度払いさえすれば医療が受けられるし、夜でも往診してくれる。子供が出来ると、定期的に子育ての指導とベビーシッターに専門家が来てくれる。これが、フランスの出生率が上昇した理由なのか。ここにいるアメリカ人は皆、アメリカに戻りたくないという。典型的なフランスの中流家庭の妻からは、「一番お金がかかるのは食費、次にバケーション」という言葉を聞いて驚く。
何故アメリカでは、このようなことが実現出来ないのだろうか?超一等国と言われているのに。本当にこんな社会でいいのか?ムーアは問いかける。

6 最高に皮肉で面白かったのは、最後に彼が、9.11での救命作業の為に自らの健康を犠牲にすることになった救命員達をキューバ南にあるグアンタナモ米海軍基地に連れていく場面だ。医療砂漠のアメリカで唯一、タダで最高の医療を提供してくれるところがあるのだ。それが、グアンタナモ基地だ。9.11の首謀者のアルカイダの一味がその恩恵を受け、その被害者の救命に当った救命士達がまともな治療を受けられないでいるのだ。どこか間違っていないか?「9.11の英雄に容疑者達と同じ治療を受けさせてくれ!」と基地に向かいムーアは叫ぶが、返事は無い。

 仕方なくムーアはキューバに上陸し、恐る恐る病人の彼らを“敵国”キューバのハバナ病院に連れて行く。すると、キューバの医者達は、名前と住所を聞いただけで、無償で治療を施すのだった。医者として当然といった感じで。笑顔で「大丈夫ですから」とキューバ人の医師に励まされて、「こんなに優しい言葉をかけてもらったのは初めてだ。」と英雄達は、感激の涙を浮かべるのだった。キューバの消防署では、彼等は「消防士の見本、英雄」としての扱いを受ける。自国では、無視されるのに、”敵国“では英雄視されるなんて、どこか狂ってないか?キューバでは、薬も安い。少ない収入を工面して何とか捻出している薬が、アメリカだと一錠120ドルもするのに、キューバではたったの5セントだという。何たる違いだ。

7 ダメ押しは、ムーアを最も激しくサイトで非難していた人物のことだ。このサイトが閉じてしまうという。彼の奥さんが病気になり、医療費捻出が大変になったからだという。ムーアは考える。「民主主義の世の中、しっかり批判してくれる人が居なくなったら困る。」と。そこでムーアは、匿名でサイトの著者に10万ドル(役1,150万円)の小切手を送るのである。医療費の目途がついたのか、そのサイトは復活してムーア攻撃が再開される。「そうでなくちゃ。」とムーアは喜ぶ。
 しかし、この映画を観て自分に10万ドルを送ってくれたのが、マイケル・ムーアだったことを知って、この人物はどういう反応を起こしただろうか。少なくとも医療保険の問題だけは、認めざるを得なくなったのではないか。ムーアもなかなかの意地悪だ。
 「シッコ」では、権力者のドアを叩くということは一切無い。それでは、「ああ、マイケルがまたやってくれたな。」というだけで、終わってしまうからだとムーアは言う。「医療保険の問題は、皆で立ち向かうべき問題。全員が“もう沢山だ”と声を上げてこそ、この状況は初めて終結に向かうことが出来るんだよ。」と。

8 この映画を観ると、日本の医療保険制度を決してアメリカのようにしてはならないと改めて感じる。医療の問題は、まだまだ幅広く色々な要素がある。ムーアが成功したのは、アメリカの民間医療保険の保険金支払い拒否の問題に焦点を絞ったからである。まだまだ製薬業界の問題や、政治家との癒着など掘り下げるべき観点は沢山ある。
 それから、この映画では絶賛しているが、カナダやイギリスやフランスの医療制度でも問題はある。一番の問題は、財源である。現にカナダの現保守政権は医療への補助を減らしつつある。
 日本でも、これ以上の患者負担を減らし、医者や看護師の境遇を改善するとしたら財源が問題となる。私は、もうそこは消費税を上げて税金で面倒を見ると決断すべきだと思う。そのことが社会的連帯感を回復する第一歩になると思うからだ。
 この映画は、是非多くの人に観てもらいたいと願う。たんに医療関係者だけでなしに、一般の人にもだ。相互扶助、社会的連帯とは何なのかを考えるのに一番よい教材になるからだ。
 アメリカでも、この映画は既に大きな影響を与えつつある。アメリカの大統領選候補が次々と公的医療保険制度創設の公約を掲げ出したからだ。共和党のロムニー候補が最も包括的な案を提唱していたが、最近ヒラリー・クリントンが同様の提案を出してきた。ムーアの努力は報われたのだ。この問題が、来年のアメリカ大統領選の帰趨を決する論点になることは間違いないからである。一つの映画がこれだけの変化をもたらすのだから、その衝撃がいかに大きかったかということだ。ムーアは全く凄い監督だ。

(以上)