『愚考を繰り返す「日銀」』・・・山本幸三 1. 6月2,3日の両日、日銀が量的緩和の目安としている当座預金残高が誘導目標の下限である30兆円を割り込んだ。法人税納入時期で資金不足になり易い状況で、日銀が意図的に資金供給を行わなかったためである。 これに先立つ5月20日、日銀は金融政策決定会合で、4年にわたる金融の量的緩和策の下で初めて当座預金残高の目標割れ容認を決めていた。現在の目標は、2004年1月20日に決めた「30兆~35兆円程度」というものだが、この内「下限の30兆円割れを容認する。」というのである。その理由を、「金融システム不安が無くなり、金融機関の資金需要が減退しているからだ。」とし、その証拠に、「札割れ」が頻発していることを上げている。「札割れ」とは、日銀が資金を供給するために手形等の買いオペをする際、入札予定額に応札額が達しないことをいう。 日銀の今回の行動は、何を意味するのだろうか?私には、2000年8月の「ゼロ金利解除の悪夢」を彷彿させる愚行以外の何物でもないとしか見えないのだが。 2. 今回の日銀の金融調節方針の変更は、「百害あって一利なしの典型」である。 まず、元々目標自体が「30~35兆円程度」となっていたのであるから、本当に技術的なズレならこれで十分説明出来たはずである。にも拘らず、「また書き」を入れたということは、金額的にもそれなりの量、そして期間も1日だけではなく、将来的には既成事実化しようという含みを持たせたものと考えられる。金融引締めの第一歩である。金融当局者の裁量の余地が広がったということでもあり、市場参加者に無用の憶測を生む。市場の期待形成が混乱するリスクが増え、決して好ましいことではない。 元来「量的金融緩和政策」は、当座預金残高が一定水準を保つことで、景気回復とともに相対的な緩和度合いが一層高まり、その結果デフレ解消が進むというのが本来のメカニズムのはずである。その相対的緩和機能を無くして、どうするというのか? 福井日銀総裁は、政策決定会合後の記者会見で、「この決定は、引締めではなく、技術的な調整だ。」と強調していた。しかし、日銀のホームページの量的金融緩和政策の説明では、「金融の量的な指標に目標値を定め、それを増額することによって金融緩和を行うことだ。」としている。いつから勝手に定義を変えたのだろうか? 量的緩和から早く抜け出したいのが日銀の本音だろうから、次に狙うのが「残高目標自体の引き下げ」であることは明らかだ。早ければこの7月にもやりかねないが、そのときのロジックも、「当預残高を維持することが”技術的に”困難になったからで、そもそも目標を変えても金融引締めにはならない。」という言い方をするだろう。何故なら、その時点でCPIが安定的にゼロ%以上になっていることはあり得ないからである。こういう日銀を、「朝令暮改」ということになるのではないか。 「札割れ」の頻発を「技術的に困難」な最大の理由としているが、これも眉唾ものである。「札割れ」し易い短期の手形オペだけやるから「札割れ」するのであって、一種のトートロジーである。期間の長いものを組み合わせるとか、タイミングを計るとか、いかに「札割れ」しないようにするかが、まさに日銀の腕の見せ所ではないか。最も簡単なのは、長期国債の買いオペ額を増やすことである。長期国債を買いまくっても何の効果も無いというなら、わが国の国債累積問題は、解決したも同然である。そんなことはなく、必ずインフレ期待が生ずるはずである。「札割れ」で手の打ちようがありませんなどと嘆くような無能な日銀職員は、早く辞めてもらった方がよい。何しろ日銀職員の給与は、大変な高給なのだから。いつでも、私が代わりにやってあげてもよい。 「当預残高目標を引下げた」後、運悪く景気が悪化すればどうなるか?技術的に達成が困難であるから当預残高を引き下げ、それは金融引締めに当たらないと一旦説明してしまうと、当預残高目標の拡大についても、これまでのように金融緩和であるとの説明がつかなくなってしまう。すなわち、日銀は、次に打つ手がなくなり、最終的には、当預残高増額のための輪番オペ増額や社債等のリスク資産の買い入れに追い込まれるといった、自分で自分の首を絞めることになりかねないのではないか。 景気回復が不透明で、海外経済の行方も懸念される状況の中で、逆噴射を行うというのは、まさに2000年8月の「ゼロ金利解除の悪夢」の再来で、つくづく「日銀というのは、懲りない面々だ。」といわざるを得ない。 要するに、今回の決定は、当預残高目標及びコアCPIへのコミットメントにより実現した政策の時間軸への信頼を損ない、市場の期待形成を不安定化することになり、量的緩和が本来持っている機能を阻害するというという点で、弊害こそあれ何らメリットの無い政策変更である。 3. 今回の日銀の賭けが吉と出るか凶と出るかは、ひとえに景気次第だが、この点でも、私は、日銀の楽観的な見方に懐疑的である。 日銀は、「わが国の景気は、基調としては回復を続けている。」とみており、「先行きについても、景気は回復を続けていくとみられる。」と、極めて楽観的である。7月初めの「短観」でよい数字が出れば、当預残高目標自体を引き下げようと目論んでいるようにさえみられる。 だが、果たして景気の実態は、本当によいのだろうか? 私は、景気判断は内閣府が発表するCI(景気総合指数)の推移でみるのが一番妥当だと思っているのだが、これでみると、先行指数も一致指数も過半が既にピークを付け低下傾向にあるのである。 CI先行指数12個の内、(最終需要財在庫率指数、鉱工業生産財在庫率指数、耐久消費財出荷指数、長短金利差、東証株価指数、中小企業売上げ見通しD.I.)の6つが昨年7月までにピークを付け、その他も今年2005年1月までに全てピークアウトしているのである。次にCI一致指数は11個あるが、その過半となる7個(鉱工業生産指数、鉱工業生産財出荷指数、大口電力使用量、稼働率指数、所定外労動時間指数、商業販売額、営業利益)が2005年1月にピークアウトしたとみられる。 こうした指標からみれば、景気は2005年1月を山として、既に下降局面に入っているとみるべきではないか。日銀の政策決定会合では、CI先行指数の話などは出ないということだが、そんなことで正確な景気判断が出来るのだろうか? 4. アメリカの景気先行指数も欧州の景気先行指数も、既に下降局面に入っており、今後は、生産の失速が必至の情勢である。アメリカの景気は、拡大基調が続いてきたが、これまでの2.0%のFRBの金利引上げの影響もあり、足元でピークアウト感もみられる。各種指標からみて、今後は弱含む可能性が大である。FFレートも6月末のFRB会合による3.25%で打ち止めになるのではないか。今年5月に訪米して、ガソリン初めあらゆる物が値上がりしている中で、一般労働者の生活は一層苦しくなっている様を見て、「スタッグフレーション」の匂いを嗅ぎ取ったことは、5月9日付けのメール・マガジンで報告した通りである。アメリカ経済は、これから厳しくなるに違いない。 次に今年1~3月9.4%の高成長を記録した中国経済は、2005年、個人消費の頭打ちに加え、投資抑制策の継続、世界経済の減速により、成長率は8%台に鈍化する見込みである。中国に進出している日本法人の景況感は悪化傾向が鮮明に出ている。4月以降の外資系企業を対象とする資金調達制限も、日系企業に与える影響が大きいと懸念される。 世界景気に大きな影響を与える原油価格も、中国の大口需要や精製施設の不足などから、今後も高止まりが予想される。どこの国にとっても、景気の悪化要因である。 このように世界経済が停滞局面に入ろうとしているときに、日本経済だけが、わが世の春を謳歌するということはあり得ないのではないか。 5.マネーの面で見ても、マネタリーベースの伸び率は前年比3%、マネーサプライは前年比2%程度の伸びと低迷が続いている。私は、マネーの伸びが少なくて景気回復などあり得ないと信じており、この面からも日銀の見解に同ずる訳にはいかない。歴史的に、マネー・サプライの伸び率が中期的に4.4%以下だとデフレになるというデータが検出されており、今の日本の現状で、デフレ解消などおこがましいというものだ。 2003年の福井総裁就任前後から2004年1月に打ち止めにするまで、日銀は、かなり思い切った当座預金残高(マネタリ-ベース)の増額を図ってきたが、この効果は絶大で、株価は上昇、消費者物価指数(CPI)もマイナスからゼロ%近辺まで戻ってきていた。しかるに何故これをストップしてしまったのか、未だに謎である。案の定これを打ち止めにしたことによって、株は下がり、CPIもまたマイナス基調へと逆戻りしてしまった。日銀は、こうした事実をどうして直視しようとしないのであろうか。デフレ克服と景気回復には、マネーの量を増やすしかないのである。 望ましい経済成長率を達成するためにどれ位のマネーの伸び(ここでは、日銀がコントロール可能なマネタリーベース)が必要かを示した、いわゆるマッカラム・ルールによれば、2%の名目成長率(インフレ率は1%)を達成しようとするだけで、マネタリーベースは16%伸ばさなければならない。名目成長率を3%にしたいとすると、実に18%の伸びが必要となるのである。 今の日銀がやろうとしていることは、全く逆方向の政策であるから、デフレ解消は、いよいよ遠のいたのではないか。 6.デフレというのは、実に厄介な病である。一旦これにはまり込むと、そこからの脱却は至難の業である。これを可能にするには、「新しい歴史を作る。」くらいのパワーが必要となる。 「映画「アビエーター」を観て」で述べた如く、「新しい歴史を作る」のは、「信念を持った気違い」にしか出来ないと思う。福井日銀総裁は、結局のところ、この「信念を持った気違い」にはなれず、単なる普通の紳士に過ぎないことが、はっきりとした。福井総裁は、正式就任直前の財務金融委員会で、私の質問に答え、「デフレ克服という結果に責任を持つ。」と確約したのだが、雲行きが怪しくなってきた。あと3年の任期中に、果たせるのかどうか。 私は、元々福井さんの日銀総裁就任には反対で、承認を決める本会議の際には退出して加わらなかったのだが、今にして賢明な選択だったと思っている。 今年の秋か暮れ頃に景気失速がはっきりしてきたならば、今回の決定を下した日銀審議委員には、責任を取って全員辞めてもらいたいものだ。国会議員以上の報酬を得ている日銀審議委員だけが、何をやっても責任を問われないというのは、本来許されないことだ。 国会だけが日銀をチェックする権能があるが、金融理論はそう簡単ではないので、日銀と堂々と渡り合える国会議員は、自民党にごく少数居るだけである。ただ自民党の場合、与党の立場上、余り激しい批判も出来ない。本来は、野党の民主党が厳しく政府・日銀の政策を批判するというのが筋だが、民主党の金融理論のレベルはお粗末で、今まで「これは!」と思った議論を展開した民主党議員なぞ見たことが無い。みんな日銀の言っていることのオーム返しで、金融政策の議論にならない。国会には権能があっても、議員にそれを駆使する能力が無いのである。 日銀が、今回の愚行に気付いたとき、これを取り繕うため、次に何を出してくるか、楽しみである。かって、「ゼロ金利解除」が失敗したことが明らかとなったとき、元に戻る訳にもいかず、「量的金融緩和」という絶妙なカモフラージュ作戦を編み出してきたことを思い出す。今度は、一体どんなカモフラージュ作戦を持ち出すのだろうか。 日銀に最後に残された選択は、「インフレ・ターゲット政策」しかないように思われるが、果たして素直に受け入れるだろうか?これについては、稿を改めて述べてみることとしたい。 |