幸ちゃん物語 第2話 (青春時代編)
なぜ政治家を志すのか
~ 初めてみた政治家の世界 ~
最終的に決心したのは、六二年二月、南太平洋出張から戻ってきたからだ。大蔵省もご多分にもれず、六月に人事異動がある。私自身政治家を志す決意が固まったうえは、異動期を前に退官を申し入れた方がよい。私の意志を伝えると、ありがたいことに宮澤大蔵大臣(当時)から、「それなら、勉強のために秘書官をやれ」というお言葉をいただいたのである。おもいがけないことであり、私は驚きかつおおいに喜んだ。そこで、退官まで短い間ではあったが、宮澤大蔵大臣のもとで親しく仕えさせていただいた。
宮澤大蔵大臣は、厳しいなかにも温かみのあるサッパリしたお人柄だ。私がお仕えした頃は、ときあたかも総裁選を間近に控えて緊迫した状況にあった。私にとって初めて見る実践の政治の世界である。わずかの期間ながら、政治の厳しさを教えられた。残念でならないのは人格、識見からいって、総理・総裁として申し分ない宮澤大臣が、秋の総裁選で選ばれなかったことだ。捲土重来を切に期待しているところである。
*宮澤喜一先生は、この後、平成3年11月5日に第78代内閣総理大臣に就任されることになる。
実は、私が政治家への転身を告げたとき、いちばん反対したのが家内だった。
私の岳父は、村山達雄(元蔵相)である。新潟県出身の村山は、学者肌の地味な人で、その力量は誰もが認め、池田勇人元首相からも「村山の前に主税局長なく、村山の後にも主税局長なし」と言われたほどの人だ。しかし、選挙になるといつも苦戦する。そこで、義母や娘たちは、選挙のたびに地元に行き、「よろしくお願いします」と奔走し、ようやく当選してきたのだった。このような経験をしてきただけに、家内は政治家がいかに大変な職業かをよく知っている。そこで猛反対したわけだ。
ところが、私は一度決断したことは、何が何でもやり遂げるといういたって頑固な性格である。私自身、考えに考えた末の決断、苦労は覚悟のうえだ。この私の性格を家内もよく知っているから、最後は諦めたのか承知してくれた。今では、誰よりも心強いパートナーとなってくれている。