第5話:行橋時代と上京 ~ホロ苦い青春の思い出~

 

幸ちゃん物語 第5話 (青春時代編)

行橋時代と上京

~ホロ苦い青春の思い出~

少年時代の私は、とりたてて変わったところもなく、ごく普通の子どもであった。ただ、本が好きで暇があると本を読んでいたという。

 ところが、私は歌がへたで、皆から「音痴、音痴」とからかわれるほどだった。こんな私を見て母は、歌が駄目なら楽器を演奏すればいいといって、私を合奏団に加入させた。行橋小学校四年生頃のことである。

 最初はハーモニカからスタート。
歌と違って楽器は練習次第で上達する。
夏休みになっても、練習に次ぐ練習で私の腕もメキメキ上達していった。この年、行橋小学校合奏団は地区予選に優勝、県大会に出場することになった。

 九州電力ホールで開かれた県大会は、各地区の優勝校が顔を揃える。晴れの舞台で私は緊張の連続だった。大勢の前で演奏し終わったときはほっとし、うれしさがこみ上げてきた。惜しくも入賞は逸したものの、この体験と思いでは、後の私にとっては非常におおきなものとなっている。
 すっかり音楽好きになった私は、中学、高校でもブラスバンド部に加入、おおいに学生生活をエンジョイした。

 私には、もう一つ思い出深い体験がある。中学一年生のときのこと、初めて弁論大会に参加、なんと優勝してしまったのである。
このときばかりは、自分でも信じられなかった。
小倉で行われた地区予選ではもちろん入賞しなかったが、変な自信がついてしまった。

 慣れとは恐ろしいもので、引っ込み思案だった私は、この二つの体験から人前で話をすることが、あまり苦にならなくなったのである。
 楽しい思いでもあれば、苦い思いでもある。

 苦い思い出といえば、中学二年の最終学期に、生徒会長選挙で落選してしまったことだ。なにしろ、一年生が会長に選ばれ、二年生の私が落選したといのだからこんな屈辱はない。
私は、ガーンと太い鉄の棒で頭を殴られたほどのショックを受けた。
この経験は、私の人生に非常に大きな影響を与えたといっても過言ではない。

 実は、東大進学を決意したのは、この体験がキッカケだったのである。だから高校時代は、受験勉強の毎日だった。高校は、県立みやこ京都高校である。

 私の家から自転車で十数分。春になると菜の花畑やレンゲ畑が連なり、遠くまで広がる麦畑ではひばりがさえずっている。そんなのどかな風景を通って、今川を渡ると母校が見えた。

 みやこ京都高校の教育は厳しい。クラス分けは成績順で、月に一回実力試験があり、一番からビリまでの成績を張り出すだけでなく、それを印刷して父兄に配っていた。
 教師の権限も非常に強い。父兄会などは、親が教師に叱られる会だった。

 こうした環境のなかで、私は東大受験一本槍で勉強に精を出した。不思議なもので、試験当日はやるだけやったという気持ちもあって、非常に落ち着いて受験することが出来た。

 理論物理学を目指し、私は理Ⅰを選択したのだがそれにはわけがある。ちょうどその頃、朝永振一郎博士がノーベル物理学賞を受賞、それにおおいに刺激を受けたためだ。
よし、立派な物理学者になろう。私はそのとき、ほんとうにそう思ったのである。
 「何とか東大の夜間にでも入れたらいいね」
 と言っていた。

 父は、私が中学校三年のときに脳溢血で倒れ、何とか生活はできるものの仕事の第一線を離れ、恩給だけが唯一の収入源だった。
そんな状況だったから、母は家計の上からも、私を大学に行かせることは難しいと考えたのかもしれない。ところが、兄や姉たちは、
「金のことは何とかするから、頑張れ」
と激励してくれた。

 兄妹というのは、ありがたいものだ。
私はなんとしても合格してみせるぞと、心に誓った。
無事、東大に合格、母に報告したらビックリして腰を抜かさんばかり。
もちろん大喜びであった。

 しかし前述のように、父が病に倒れたために経済的に苦しい。そこで、私は大学に授業料免除を申請、これが認められまずはホッとした。
 また、石橋産業グループの篤志によって設けられた「石橋奨学金」を受けることができた。返済義務もなく、月一万円という当時としては破格の金額が授与された。
その頃、二食付きの下宿代が七千円ぐらいだったから、学生生活を何とか送ることができた。私にとっては、天の恵みといえるほどにありがたかった。

 合格したものの、どこに居を構えるか思いあぐねていたところ、当時、参議院議員だった柳田桃太郎叔父が、
「私のところにくればよい」
と言ってくれ、心よく身柄を預かってくれることになった。

一介の田舎学生が右も左もわからない東京で生活するわけだから、母にとっては心配このうえない。柳田叔父は、私たちの心配をおもんぱかって、快く申し出てくれたのである。感謝しても、しきれないほどであった。

 昭和四二年春、私は東大に入学した。見るもの聞くもの皆もの珍しい。
まず、うどんの汁が真っ黒なのにビックリした。

渋谷駅の忠犬ハチ公前で友達と待ち合わせしたのはいいが、渋谷駅といっても出口はいくつもある。迷いに迷って、ようやく忠犬ハチ公前に来たもののあまりにも人が多く、友達を探すのに一苦労。さすが、東京は大きな都市だと驚かされたものである。