幸ちゃん物語 第11話 (大蔵省時代編)
武者修行時代
~沖縄返還時の大チョンボ~
翌昭和四七年六月一五日、沖縄は、祖国日本に返還された。
佐藤総理の政治的努力も大変なものであったろうが、私達役人の事務もなかなか大仕事だった。何しろ、何百とあるわが国の法令全部を書き換えて、沖縄に適用できるようにしなければならないからだ。その作業たるや膨大である。返還直前の二ヶ月は、ほんとうに徹夜に次ぐ徹夜の連続であった。その最先端で仕事をしているのが法令審査を担当する私達文書課員だ。
そのなかで、特に思い出深い苦いエピソードがある。
沖縄返還は、先のスミソニアンにおける円切り上げ後の出来事。ということは、沖縄の人達が持っているドルは、一ドル308円で交換するのが筋である。
しかし、過去になめた沖縄の住民の苦労に報いる意味もあって、政治的観点からこれを旧平価の一ドル360円で交換することにした。
しかも、住民の強い要望もあって、急遽返還日、すなわち六月一五日に先立って、確か10日頃この通貨交換が行われることになったのである。
金額とすれば膨大である。
その通貨交換用の日本円をどのように運ぶかというのが、なかなか面白い。
たとえば、海賊に襲われないように急に日程を変えるとか、囮用の船を用意するとか、小説まがいのアイデアを真剣になって議論したりした。それについてはここでは、割愛して話しを進めていこう。
政府は沖縄復帰に関する法的措置として、
「沖縄の復帰に関する特別措置法」
と準備した。
この法律のなかに通貨交換の規定があり、
「大蔵省令の定めるところにより」
と、省令に通貨交換の具体的内容が委任されている。
そこで、大蔵省令の最終的作成責任者の文書課で、
「沖縄の復帰に関する特別措置法第49条の規定に基づき、交換比率を一ドル360円とする」という省令を作成した。
これを六月一〇日頃(六月一七日の復帰日より前)に施行するため、私も上司に随行して大臣決裁を戴きにうかがったのである。当時は水田大蔵大臣で、国会の沖縄問題特別委員会に出席中だった。
ところが、決裁を戴いて帰る途中、私は重大なミスに気付いた。
特別措置法が施行されるのは、六月一七日だから、特別措置法の規定を受けた省令は、六月一七日まで効力がないことになる。
これは法令技術的なことだが、法律と言うのは、公布されても施行されないとその効力はない。
この場合がそれに当たるのだ。私は恐る恐る上司にこのことを進言した。省内でも豪放でならすその上司は、それを聞いて一瞬真っ青になった。
まさに、一大ミスなのだ。
もし、通貨交換を復帰日前に行うことが、あらかじめ予定されていたならそれなりの規定の準備をできたのだが、何しろこれは大きな政治問題として、その比率や時間は最後の最後まで決まらなかった代物なのである。
従って、法律の条文を修正しようにも物理的に間に合わない。それでなくとも、法案自体が通るか通らないかの瀬戸際である。
とても、修正など言い出せる状況ではない。
もう、ここは、完全主義の文書課のメンツを捨てるしかない。
帰省後、文書課の英知を集めて協議した結果、頭の切れ味は天下一品といわれる別の上司が結論を出した。「規定に基づき」とあるのを、「規定による」とボカして表現しよう。
そして、このまま突っ走るよりしようがないと。
事実、通貨交換という大事業を、ここでストップさせるわけにはいかなかったのである。
こうして、沖縄返還とそれに伴う通貨交換は、無事終了。私たちの大チョンボも、今となっては時効になってしまった。
ただし、法令解説集には、”公布”の意味を取り違えた例として、引用されているかもしれない。