第16話:歴史的瞬間 ~ウィーンの”援助マフィア”と美女

 

幸ちゃん物語 第16話 (大蔵省時代編)

歴史的瞬間

~ウィーンの”援助マフィア”と美女~

昭和五三年のアジア開発銀行の総会は、四月下旬オーストラリアの首都ウィーンで開かれた。
 岩国勤務から本省に戻った頃で、私は海外援助の担当となっていた。そこで、垣水国際金融局担当審議官(現(財)印刷朝陽会会長)のお伴をして、この総会に出席することになったのである。

 この会合は、私にとっては忘れることのできないものとなった。

実は私のアルバムのなかに、絶世の美女と一緒に撮った一枚の写真が貼ってある。
それは、ウィーンのオペラ座で撮ったものだが、なぜか霞がかったようにぼやけていて、顔形が判然としないのだ。つまり、ピンボケの写真である。

 しかしよく見ると、背景には通称”援助マフィア”と呼ばれる海外援助六大国の構成メンバーとして親しく付き合うようになったアメリカのフレッド・バーグステン氏(当時、財務次官補、現国際経済研究所所長)や西ドイツのモルトレヒト氏(当時援助省局長)の姿も写っている。
 私はこの写真を眺めるたびに、あの魅惑の年ウィーンでの出来事を思い浮かべるのだ。

 苦しかった増資交渉、オペラ座観劇の興奮、シェーンブルン宮殿での優雅な食事等々、これらのシーンの一コマ一コマが走馬燈のように思い出され、陶然とした気分になってくる。
 話を仕事の方に引き戻すと、日本の海外援助は、大きく二国間(バイ)と多国間(マルチ)の二つの形態に分かれている。原則として、前者が外務省、後者が大蔵省の担当だ。
大蔵省が受け持つ多国間援助というのは、要するに、世界銀行、アジア開発銀行、アフリカ開発基金といった国際開発金融機関に、どれだけ資金を出すかということである。
各機関は、それぞれの融資業務の進捗状況に応じて、参加各国に資金拠出(増資)の依頼を行う。
 参加各国は、増資会議を何回か開いて内容を詰め、最終的な増資規模を決定する。
増資交渉では、どの機関においてもおおきなシェアをもつアメリカの意向が、決定的な影響力をもっている。次いで、近年とくに海外援助を拡充してきた日本、そして西ドイツ、イギリス、フランス、カナダと続いている。

 このため、この六カ国で援助に関する協議グループをつくっており、これをG6と呼んでいる。国際通貨問題で有名なG5にならってつくったものだ。各国際開発金融機関の増資交渉においては、参加国全体の会議に先立って、まずこのG6である程度話を煮詰めることが慣例とされてきた。
*G8:日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、ロシア
 
ところで、よく理解されていないことだが、国際交渉においても”根回し”は極めて重要で有効なのである。
援助については、増資会議。G6をスムーズに取り運ぶために、まず日米間で荒ごなしをしておく。アメリカは、財務赤字の折から、近年援助に厳しくなってきており、その肩代わりを、日本にやってもらいたいと思っている。
それだけにアプローチは真剣そのものだ。

 垣水審議官とともに、増資会議が行われるホテルに入ると、よくアメリカのバーグステンから、
「今晩七時に、ロビーで会いたい」
というメモが届いていた。そして、日米二国間でウイスキーを片手に、
「今回の会議では、具体的数字のコミットは避けて欲しい」、
「わかった。しかし、次回はなんとしてもコミットできるようにしてくれ」
といった具合に、翌日からの会議のシナリオを詰めていくのである。
熱心なアメリカの要望を聞いていると、日本の経済的地位がいかに高くなったかを、ひしひしと感じた。