幸ちゃん物語 第21話 (大蔵省時代編)
武勇伝
~「うるさい奴」が尊敬されるアメリカ」~
昭和五六年に入って、秘書課から、アメリカにもう一度行ってくれないかという話があった。アメリカのハーバード大学の国際問題研究所の客員研究員として派遣したいというのである。実は、一年前からこの研究所で、日米関係プログラムというのが始まっていた。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者として有名なエズラ・F・ヴォーゲル教授が音頭を取ったもので、日米経済摩擦がいよいよ激化するなか、日米の有識者でその処方箋につき徹底的に議論し、研究しようではないかというのである。ヴォーゲル教授から、アメリカ人と対等に議論できる人物をとの条件が付いていたようで、山本なら何とかなるだろうと白羽の矢を立てられたようだ。
コーネル大留学から六年振り、この間何度も出張したとはいえ、長期滞在としては三度目のアメリカである。高校時代、小田実の『何でも見てやろう』を読んで、ぜひともアメリカに行ってみたいと夢見て以来、アメリカとの付き合いがすっかり長くなってしまった。しかも、今度は、日本と大蔵省を代表して、アメリカのオピニオン・リーダー達と議論を交わし、理解を深めてこいというのである。私としては身の引き締まる思いだった。
ハーバード大学国際問題研究所というのは、一九五八年に創設された非常に有名な研究所で、かつてはキッシンジャーやブレジンスキーらも所属していた。とくに民主党政権が生まれれば、ここから多くの人材がワシントンに供給されることになろう。また、カーター政権時の国務次官であったリチャード・クーパーなどのように、政権交代で学窓に戻って来たという人もいる。
その研究所の一組織として、日米関係プログラムがスタートしたのである。エズラ・F・ヴォーゲル教授がディレクターで、ライシャワー教授はプログラムの運営を監督する理事会のメンバーであった。アメリカ側の研究員が四、五人で、日本側は大蔵、外務、通産、農水、郵政などの役人と新日鉄、東京ガスなどからの民間人、それに東大、慶応などからの学者一二、三人で構成されていた。
日本で日本の新聞、雑誌を読んでいると全く気がつかないことだが、アメリカの政府当局者、知識人にとって日本というのはそれほど重大な関心事ではない。最大の関心事は対ソ関係であり、それに連なる西欧関係である。アメリカの大学の政治関係の分野でもっとも優秀な人材は、戦略問題、とくに対ソ戦略、対欧戦略問題に進む。日本問題を扱うというのは、あまりできのよくない連中か、よほどの変わり者とされていた。事実、ヴォーゲル教授はもともとは中国の研究者であり、ライシャワー教授は、中世の日本文学の研究者である。
こうしたことが、今日の日米摩擦解決のための大きなネックになっている。何しろ、日本の現状について、正確な知識をもった一流の学者がほとんどいないからだ。従って、的を外れた自分勝手な議論が横行することになる。日米関係プログラムの狙いは、そうしたアメリカ側の誤解を正すとともに、日米双方の考え方の理解を深めることにあった。
プログラムでは、毎週二回のセミナーが開かれる。一つは、参加者に制限がないオープンなもので、政府当局や学者などかなりの大物を招請して話を聞き討論するものである。もう一つは、プログラム関係者だけのもので、主に学内から講師を呼んだ。
えてして、こういうセミナーの場合、日本人はご説拝聴で黙っていることが多い。これがまた、アメリカ側に、日本人は自分の言っていることを認めたのだという誤解を生んでいく。
アメリカという国では、その複合民族国家という性格上、自分の思っていることをはっきりと主張しないかぎり決して理解されない。とにかく、表現し主張しなくては互いにわかり合えない社会である。だからこそ小さい頃から、パブリック・スピーチの訓練を受けている。テレビのニュースなどで小学校低学年の子どもでもインタビューを受けて、堂々と意見を述べるのを見ていると、たいしたものだと感心させられる。アメリカ人には自分の考えを明確に表現することが、生きていく上で非常に重要なものだという共通の認識が徹底しているのである。
そこで、私はセミナーでは、最低一回、必ず発言することにした。ハーバード教授陣の俊秀に交じって、議論に参加するというのは非常にしんどかったが、自分にとってもよい勉強になったし、アメリカ側にも好感をもたれたようだ。後で、いろんな人から、ミスターヤマモトは、アメリカを痛烈に批判するが、彼の考えていることはよくわかる。しかし、ほかの日本人はどうもよくわからない、という話を聞いた。
私のほかに積極的に議論に参加されたのは、東京工大の永井陽之助教授(元青山学院大教授)あった。永井教授はその学識の深さから、アメリカ側の単純な議論に耐えられず自論を主張し出すのだが、だんだん興奮してきて顔を真っ赤にし、手を振り上げんばかりにして論陣を張るので、さすがのアメリカ人も圧倒されるという。この永井先生には、国際戦略問題についておおいに薫陶を受けた。それまで、経済問題についてしか知らなかった私は、永井先生のおかげで政治・外交問題についても、視野を広げることができた。