幸ちゃん物語 第24話 (大蔵省時代編)
国際交渉力
~日米円ドル委員会~
しかしながら、いくつかの反省すべき点もある。それらは、いくぶん私の独断と偏見によるものであるが、大蔵省にとっては、今後の対外交渉に臨むうえで何らかの参考になると思うので、あえて苦言を呈することとしたい。
第一の問題は、理論に弱いことである。そもそもこの日米金融摩擦は、円・ドル・レート問題、すなわち”安すぎる円”というものが出発点となっていたのであるが、為替レートがどのようにして動くのか、ドル高円安の原因は何なのか、金融自由化措置が果たして円レートの上昇をもたらすのか、といった問題について突っ込んだ議論がなされず、とくに日本側は有効な反論を展開できなかった。
これは、アメリカ側の代表団に専門家のエコノミストが揃っていたのに対し、日本側にはこれに対抗する専門家がいなかったことに起因する。アメリカ側団長のスプリンケル財務次官(元CEA委員長)はシカゴ大学で、副団長のマルフォード財務次官補はオックスフォード大学で、それぞれ博士号を取得した専門のエコノミストである。元来、アメリカは、スペシャリスト集団が活躍する社会である。アメリカでは、夥しい数のロイヤー(弁護士)、MBA(経営学修士)、そして一〇万人にものぼるエコノミストが、それぞれ巨大な専門家集団を構成し、”制度”の担い手となっている。
これに対し、日本の官僚機構では、何でもできるゼネラリストであることが重視され、専門家としてのエコノミストは敬遠された。昭和三〇年代頃の高度成長期のように、国家目標が明確に設定されている時代にあっては、経済政策そのもののあり方について比較的容易にコンセンサスが得られた。このため、経済官僚の役割は、さながらオーケストラの指揮者として、社会・経済のバランスを保ちながら日本の発展を支えていくことにあり、ゼネラリストの資質が要求された。しかし、日本経済の制約が厳しくなり、国際社会との摩擦が激化するようになると、政策選択の困難さが増し、何でもできるはずのゼネラリストは、何もできないゼネラリストへと変質する危険性を秘めている。
この日米円ドル委で問題となった為替理論は、実は、経済学のなかでももっとも難しい分野である。為替レートの決定要因については、これまでも数多くの仮説や理論が提示されているが、未だに決定打というものはない。従って、誰でも自分の都合のよいように好きなことをいってくる可能性があり、要注意である。相手の言い分の矛盾点を正しく指摘できるような理論武装だけは、キチンとしておかねばならない。
例えば、アメリカ人に圧倒的な人気があるアイアコッカ・クライスラー元会長は、自伝(『アイアコッカ』ダイヤモンド社)のなかでこう述べている。「あらゆる事象は自己に都合が良いように解釈すべきである。市場原則も、立場が変われば、万能でなく、修正を要するものである」と。そして、日本の製品の国際競争力が強いのは、円を安くする為替操作が行われていると決めつけている。氏は言う、「アヒルのように歩き、アヒルのように鳴くものがあれば、それはおそらくアヒルだ」と。全く滅茶苦茶の議論だが、為替レートについては、こうした議論が横行しやすい。
ところで、当初この「円安操作論」に積極的に反論したのは、アメリカのエコノミストであった。一九八二年から八三年にかけて、フェルドシュタインCEA委員長(現ハーバード大教授、NBER理事長)やスプリンケル財務次官が、「円安操作の事実はない、むしろ日本は円高誘導に努めている」との内容の議会証言を行っている。スプリンケル財務次官は、ドル高円安が継続している原因として、(1)輸出数量の減少など日本の対外パフォーマンスが予想ほどよくないこと、(2)主要市場における対日保護貿易圧力の増大、(3)最近の金融自由化に起因する日本からの多額の資本流出、(4)セイフ・ヘーブンとしてのドル需要の増加、(5)アメリカにおけるインフレの著しい改善、などを列挙していた。
ところが、一九八三年秋になって「ソロモン・ペーパー」が出回るようになって、アメリカ当局者の態度が変わってくる。このペーパーは、キャタビラー社のリー・モーガン会長の意向を受け、スタンフォード大学のエズラ・ソロモン博士とデヴィッド・マーチソン弁護士がまとめたもので、円レートが不当に安く決まっているのは日本の閉鎖的な金融制度や資本流入抑制策に原因があり、従って日本の金融自由化、ユーロ円市場の拡大のための措置を進めることで円資産の魅力を増し、円高をもたらすべきであると主張した。
このソロモン・ペーパーを用いた円安是正キャンペーンは、それまでの露骨な円安操作論とは異なり、ワシントンに受け入れられるところとなった。その背景には、一九八四年の大統領選挙を乗り切るためには、産業界の不満を個別の貿易問題から円ドル問題にそらしておき、そこで何らかの成果をあげた方がよいという、ホワイトハウスの意向が働いたと思われる。こうして、円ドル問題は、八三年一一月のレーガン訪日時の目玉として採り上げられ、日米円ドル委における金融自由化交渉へと発展するのである。
ソロモン・ペーパーは、経済理論的には、あまり質の高いものではなかった。このペーパーは、一九八一年以後の円安ドル高の原因を日本の金融市場の閉鎖性に求めているが、この時期の円安・ドル高が主として日米のマクロ経済要因、すなわち財政政策のすれ違いや貯蓄・投資のインバランス(不均衡)によってもたらされたものであることは、多数の分析により明らかにされている。
また、このペーパーは、円高をもたらすために日本の金融自由化を推進することを主張していたが、両者の間の因果関係は不明確である。事実当時のモルガン・ギャランティ・トラストの分析は、金融自由化をしても、日本の投資家が自己の資産に外貨建て資産を十分組み込むまで、当面円レートは下がるだろうとの見解を示していたのである。
しかしながら、日本側はソロモン・ペーパーをもとにしたアメリカの主張に対し、それが理論的に誤ったものであるとの反証を示せず、有効なカウンター・パンチを繰り出すことができなかった。残念ながら、日本側には、為替レート理論について体系的な知識をもち、アメリカン・エコノミックレヴュー(AER)やNBER(全米経済研究所)・ワーキング・ペーパーの主要論文には一応目を通しているといった専門化がいなかったのである。
大蔵省にこうした専門家が育たない理由は、一つには前述の根強いゼネラリスト指向があること、二つ目には仕事が忙しすぎて勉強する暇がないからである。
大蔵官僚は確かに頭がいいと思うが、正統派経済学の分析枠組みをしっかり身に付けていないので、”常識”だけが頼りである。しかし、経済現象というのは、常識だけでは手に負えない。かつて学生時代、恩師の小宮隆太郎東大教授は、「経済学を勉強したかどうかは、常識的判断に終わるかそうでないかでわかる」と語っておられたのを思い出す。
大蔵省には経済理論研修があって、高度の経済理論を勉強しているはずであるが、それが本当に身に付いたものになっているのかどうか。また、その後の激務のなかで、その水準を維持しているのかどうか。これまでの実績をみるかぎり、少し心配になってくる。このことは、私自身にとっても当てはまることであるが、幸い二年ずつ二回アメリカに留学したために十分な暇があり、専門的ペーパーを読み知識を蓄積しておくことができた。私の大蔵省の生活というのは、このときの蓄積を少しずつ食いつぶしていく、そんな感じであった。
為替レート問題のほかに、ユーロ円市場の拡大が日本の金融政策に支障を与えるかどうかという議論もあった。これは、日米間というより、むしろ日本国内でおおいに論じられた。私達は、金融自由化、ユーロ円市場の拡大が日本の金融政策に何ら支障をもたらすものでないということを強く主張したが、省内外でかなりの抵抗にあった。常識的な判断をする人には、なかなかわかりにくいのである。この点については、私は日米円ドル委終了後、日本経済新聞の経済教室欄に投稿したことがある。この投稿の反響は、極めて大きかった。昔なじみで長いことごぶさたにしていた方からも電話がかかってきたりした。新聞の威力の大きさをつくづくかんじさせられた。そのなかで、やんわり批判した日本銀行は、その後、私と同趣旨の見解を示すにいたった。
きちんとした意見、主張がないとこれからの官僚は国際的な場面で通用しなくなると思う。
では今後どのようにして大蔵省に専門家を育成するか。このことについて、私自身特別の妙案はない。無責任のようだが何年かごとに、海外か地方でのんびり勉強できるような暇をつくってやるしかないのではないかと思う。
現代の新保守主義の元祖ともいうべき風変わりな街の哲学者エリック・ホッファーが、アメリカ人を批判して次のような辛辣なことを言っているが、われわれにも考えさせるところがあるので、紹介してみたい。
「アメリカ人の浅薄さは、かれらがすぐハッスルする結果である。ものごとは考えぬくには閑暇がいる。成熟するにも閑暇がいる。急いでいる人たちは、考えることも、成長することも、堕落することもできない。かれらは永遠に愚直状態にとどまる」
まさに、日本の官僚にピッタリの言葉ではないか。