幸ちゃん物語 第25話 (大蔵省時代編)
国際交渉力
~喧嘩上手~
さて、第一の問題について少し詳細に述べすぎたので、後は、簡単にしたいと思うが、第二の問題は、喧嘩べたということである。
外交交渉の基本は、相互の立場を理解してお互いに譲り合うことであろうが、その過程では、いろいろハプニングがつきものだ。先方が、いつも合理的であるとはかぎらない。ときに、理不尽極まりない要求を突きつけてくることもあるし、許しがたい言動を吐くこともある。そうしたとき、ただちに反撃しておく必要があるのだが、これがなかなかうまくいかなかった。
事を荒立てて相手を怒らせてはまずいといった配慮とか、そもそも外交交渉に慣れていないのでどこまで強く言ったらいいかわからないなど、このような場での経験が浅いため遠慮してしまうのだ。しかしながら、アメリカとの交渉では、こういう場合おおいに喧嘩すべきだと思う。
もちろん、かつての通産省の某局長のように、アメリカ側の神経を逆なでするような言い方は避けるべきだと思うが、正当な反論はキチンとするべきである。アメリカ人は、もともと論争をゲームだとして訓練されてきているし、わざと日本側の反応を見ようとして、理不尽な態度を取ることがある。それに日本側の反論がないと、アメリカ側は、「それじゃ、これは譲るということだな」と思い込んでしまう。こうして日本側はズルズルと譲歩を続けることなる。そこでアメリカ側は、日本は脅かしてかかるのがいちばんよいという印象をもってしまうのである。
こうした交渉の経過は、外見的にはアメリカ側が満足するので、交渉はうまくいったように見えるが、真実のところそうではない。日本側は、力でねじ伏せられたと根にもつことになるし、アメリカ側は何も反論しない日本を能面のように不気味に思い、突如、パール・ハーバーのような奇襲に出るのではないかと不安になる。アメリカ人は、必要なときに喧嘩をするやり方に慣れており、そういう人間を尊敬するものである。
このズルズルと譲歩を繰り返していった経緯には、当時の中曽根総理にも責任があると思う。円ドル委の経過を報告する大蔵省の幹部に対し、総理からの指示は、「とにかくうまくやれよ」ということであった。「うまくやれよ」というのは、アメリカ側を怒らせるなということであり、結局譲歩しろということである。
あのとき、総理から、「金融自由化は日本にとってもいいことだから、自主的に積極的に進めろ。アメリカ側もそれを評価するはずだ。最終的にアメリカ側を納得させうるなら、中途では、おおいに喧嘩してよろしい。日本も手ごわいと思わせることも大事だ。その責任は、自分が取るから思い切ってやれ」という指示が出ていたらどんなに心強いことだったろうか。
上手な喧嘩をするというのは、とても難しいことだ。国際交渉の場を重ねることにより、少しずつ学んでいくしかない。ただ、不当なことを言われたら、ファイティング・ポーズをビシッときめて、猛然と反撃することが必要だということをしっかり認識しておく必要がある。
第三に、日本人は相手の土俵で相撲が取れないということがある。
円ドル委の典型的な交渉スタイルとして、日本側は用意した発言要領をえんえんと読み上げるということがあった。アメリカ側のメンバーは皆うんざりして、その発言が終わるのを待っていた。日本側は、時間稼ぎができたと思っているかもしれないが、アメリカ側は「日本の役人というのは、話し合いをしても無駄な相手ではないか。話し合いの土俵に上がることさえせず、ただただ、日本の特殊な事情をご理解くださいと言っている。話し合いができない相手であるのなら、脅かしてかかるよりしかたがないではないか」と考えるらしい。
交渉で、相手は自分の土俵にこちらを引っぱり込もうとし、こちらはこちらの土俵に相手を引っぱり込もうとする、というのでは水かけ論になりやすい。できれば、相手の土俵に入ってしまって、そのなかでとことん暴れまわってみるという方が交渉はうまくいく。人は、自分の土俵のなかでは非常にオープンな気持ちになるものだ。だとすれば、相手がオープンになれる相手の土俵に飛び込んで、そのなかでどれくらいまで妥協点を引き出せるか、付帯条件、周辺の状況はどうなるのかなど、大切なことをつかむのが鉄則である。
しかし、これとて、そう簡単にマスターできることではない。
まず、前哨戦で、相手がどういうふうな言葉に対して受容性をもち、どういう言葉遣いに反発しやすいのかを知る必要がある。そして、交渉に入ると、できるだけ「万一」、「例えば」、「仮に」、「不幸にして」といった前置詞を多発して、相手の土俵の許容範囲をしぼり出していく訓練がいる。
これもやはり、場数を踏んで自然と身に付けていくしかない。
探せば、まだいくつも問題があるが、主要なものとしては以上の三つである。英語の能力自体も必要だが、交渉という観点からはマイナーな問題である。いくら英語を話せるからといって、交渉能力があるわけではない。英語は、通訳を付ければ間に合うことが多く、ここにあげたような能力の方がより重要である。
ところで、日本側の誰もが、これらの能力に欠けていたというわけではない。そのときどきに応じて、こうして能力を発揮して交渉を盛り上げる人達がいたのは確かであるが、総じてみれば、先にあげた面で、今一つ物足りなさを感じたということである。
日本側で傑出した交渉能力を示したのは、行天豊雄銀行局審議官(現(財)国際通貨研究所・理事長)であった。
とくに、円ドル委の大筋の合意がなされた第五回目の会合における交渉ぶりはみごとであった。まず、アメリカ側代表のスプリンケル財務次官に対し、金融自由化の哲学を語りかける。次に、かねて用意の日本側の文案を示しアメリカ側の反応をみる。言葉遣いでアメリカ側に意見があれば、ただちにそれに応じて修正していく。相手とするのは決定権を持つスプリンケル財務次官だけで、横から口を出す手合には取り合わない。何しろ、相手と同じ土俵で勝負しようというのだから、アメリカ側もついつい引き込まれてしまう。そして、気が付いたときには、行天さんの思い通りの結果になっていたというわけだ。
私は行天さんのこの交渉ぶりを見て眼から鱗が落ちる思いをした。
相手を決して怒らせることなく諄々と説得していくさまは、もはや芸術とでもいうべき趣があった。会議終了後、久保田財務官室長(現ローンスタージャパンアクイジッションズL.L.C.会長)と私は興奮して、「こんな素晴らしい交渉のやり方を見せてもらうとは、どんなに金を払っても悔いがないですね」と語り合ったものだ。
今後、大蔵省が、第二、第三の行天さんの生んでいくことができるかどうかということが、大きな課題となろう。