第29話:地方は試練の時代に ~地方と世界の時代に突入

 

幸ちゃん物語 第29話 (北九州地域再活性化私案編)

地方は試練の時代に

~地方と世界の時代に突入~

 しかし、このような東京集中は無限に続くとは思えない。その理由として、一つは国内的要素であり、もう一つは国際競争の面の二つがあげられる。

 国内的要素としては、まず国土の4%に満たない地域に、人口の四分の一と情報機能の9割近くが集中すると、国の安全保障上問題が生じることがあげられる。そして、生産活動の過度の集中に伴う地価の上昇や公害の増大、それに索漠とした人間関係から逃れ、何とか人間らしい生活を取り戻したいとする、人としての自然の欲求が考えられる。

 国際競争の面は、もっと深刻な問題をはらんでいる。それは、経済活動の国際化に伴い、”制度の国際的競争”が本格的に始まってくるからである。

 これまでほとんどの場合、”制度”の制定は、国内の諸事情を考慮すればこと足りた。どういう”制度”が選択されるかは、国民の意思を民主主義のルールに従って集計して決定された。しかし、経済活動はこのように国際化され国境の意味が形骸化してくると、経済諸資源の国際間移動がもたらす制度決定プロセスへの影響を無視することは不可能になったのである。政策当局が国内の利害関係を重視した制度を維持しようとしても、外国との調和を欠くかぎりその制度は長期的には維持できない。なぜならば、経済主体にとって”より有利な制度”が諸外国に存在すれば脱出が発生し、国内の”空洞化”が起こってくるからである。結局、好むと好まざるとにかかわらず、制度を国際基準に合わせるという政治的妥協が必要になってくる。
 
 こうした状況のもとで、地方都市は二重の意味で苦境に立たされている。一つには、経済のサービス化、国際化、情報化に伴う情報格差による東京集中の潮の流れを変え、地方の復権を図らなければならないことがある。
 他方、”制度の国際競争”によって経済諸資源が地方どころか東京も離れ、海外に流出してしまいかねないという問題も考えられる。

 企業は、いろいろな条件を勘定して、鹿児島や北九州よりも東京に本社を置いた方が得だ”と判断してきたが、今や舞台は海外に広がり、東京よりもニューヨークやロンドンの方がよいということもありうることとなった。鹿児島や北九州といった地方都市はいかにしたら企業を誘引するに足る条件や魅力をもつには、どうしたらいいかということを考えなくてはならない。

“世界(グローバル)”の動きは、今日”地方(ローカル)”に直接影響を与えるし、逆に”地方”は”世界”のことを考慮せずに、何らかの意思決定を行なうことはできない状況になってきた。その意味で今や、”地方(ローカル)”と”世界(グローバル)”の時代に突入したといえよう。