幸ちゃん物語 第30話 (北九州地域再活性化私案編)
北九州検証
~なぜ北九州は福岡に追い抜かれたのか~
さて、それでは私の地元、北九州地域の問題はいったい何なのだろうかということを考えてみたい。
ここで、単に北九州あるいは北九州地域といった場合、私は京築や田川市郡のことも含めて考えているが、問題の所在を明らかにするために当面北九州のことを取り上げ、ほかの地域については後で補完する。
北九州市の問題を浮き彫りにするためには、あらゆる意味で対照的、ライバルである福岡市との比較で分析していくのが適当だと思う。両市は、福岡県の複眼として位置づけられ競い合ってきた。かつては、北九州市のほうが隆盛を誇ったが、今日ではその地位が逆転したといわれる。それは、いったいどうしてなのか、何が両者の間で違うのか、そのあたりを分析してみたい。
昭和60年の国政調査によると、北九州市の人口は福岡市よりも少ない。5市合併で北九州市が誕生した昭和38年のことを考えると隔世の感がある。九州経済調査会の推計によれば、今後福岡市の人口は順調に増え続けるのに対し、北九州市の人口は漸減していき、西暦2000年にはとうとう100万人割れするとみている。これは由々しい事態である。
次に、人口構成を比較すると両者の違いがより鮮明になる。
北九州市の場合、14歳までの年少人口はまずまずの水準だが、生産年齢に達する15歳以上になると急激に減少している。これは、進学、就職の関係で市外に若者が流出するためと考えられる。この若者の少ないことが、北九州市に活気のない最大の原因である。
では、若者をつなぎ留めるにはどうすればよいか。まず大学の設置が考えられる。だが、現在文部省と教育審議会の方針で、政令指定都市など大都市には大学の新設は認められていない。しかしこの行政指導は、先に述べたように各都市の実情を無視したもので合理的とは言い難い。とくに北九州市のように若者の減少率が2割を超え、現実に都市の機能に支障をきたしている場合にはなおさらである。市当局としてはこうしたデータを踏まえ、文部省の説得に努める必要がある。
大学のほかにも各種専門学校、予備校といったものが考えられる。福岡市で予備校が集中している、いわゆる「親不幸通り」は、若者で溢れ一種の新しい文化を生み出しているのが注目される。
ある建築家から聞いた話だが、東京の渋谷は若者の街と呼ばれ活気に満ちているが、それはビルの入口スペースの利用のしかたにあるという。つまり、従来ビルの一階の通りに面した箇所は一等地として、テナント間の争奪が激しかったのだが、最近はビルのオーナーがここにテナントを入れずオープンスペースにしている。そこに洒落た椅子を置くと、若い女性が好んで待ち合わせ場所として使うようになる。女性が来れば男性も集まるようになり、多くの若者のたまり場になっていくのである。人さえ集まれば、ビジネスも自然にうまくいく。要は、いかに多くの人を集めるか。その工夫をしていくことである。これからの街づくりは、まず若者をいかにして引き付けられるかがポイントになる。そのため、官民力を合わせて知恵を出し合う必要がある。
さて、人口構成の話に戻るが、30歳を超えると両市とも人口にUターン現象が起こる。家を継ぐためとか親の面倒をみるためというのがその理由だろう。その後はおおむね自然に減少してくる。北九州市の場合は前述したように若者の流出が大きいため、平均年齢が36・1歳と福岡市の32・4歳に比べかなり高い。また65歳以上の老年人口の割合も、福岡市の7・8%に対し、10・3%と高い。つまり、北九州市は若者が少なく老人が多い街ということがあきらかになる。