幸ちゃん物語 第49話 (対談編)
人材とヴィジョン、国際的に開かれた北九州を建設―エズラ・F・ヴォーゲル氏
エズラ・F・ヴォーゲル氏の紹介
ハーバード大学教授
社会学者、1930年、アメリカ・オハイオ州生まれ。1958年にハーバード大学で博士号を取得。1967年ハーバード大学教授となり、1972年に同大学東アジア研究所所長に就任。主な著書に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」、「日本の中産階級」など。
■なぜマサチューセッツはハイテクの街に変身したか
山本幸三 日本は今、国際化、情報化、サービス化が大きな勢いで進んでいます。とくに
国際化の進展で、グローバル(世界的)な動きがローカル(地方)の動きに直接影響を与えるようになってきました。その過程で、あらゆるものが東京に一極集中する現象が生まれ、地方が取り残されていきます。そういった状況のなかで、地方はいったいどのようにして地域の再活性化を図ってよいのか。どこも頭を悩ませているのが実情です。北九州ももちろん例外ではありません。
そこで、ヴォーゲル先生には、アメリカの経験を通じて、北九州が再活性化を図るためのヒントをご教示いただければと思うのですが。
エズラ・F・ヴォーゲル
私は最近、中国から帰って、アメリカ人が自分たちの将来について、あまり深く考えていないのに少々がっかりしているとこなんです。国際的な問題についての関心は日本の方がより強いと思いますね。
ところで、山本さんがお尋ねになった北九州の再活性化についてですが、私どものニューイングランドの例が参考になるかもしれません。
このマサチューセッツ州には、大戦直後たくさんの繊維工場や靴の工場がありました。ところが、1940年代、1950年代になって、こうした産業は日本、韓国、台湾などの競争に破れて、マサチューセッツ経済はどんどん悪くなっていったのです。当時大学は好まれない存在でした。というのも、大学は企業と違って税金を払わないからです。大学は、プラスでなくマイナスの存在とされたのです。
ところが、60年代に入り、この大学が、産業転換に大きな役割を果たしました。
山本 それはどういうことですか。
ヴォーゲル ハーバード大学やMIT(マサチューセッツ工科大学)が、工業部門でいろいろなスピンオフ(波及効果)を生んだのです。
これらの大学周辺からルート128(ボストン北部を周回するハイウェイで、テクノロジー・ハイウェイと呼ばれている)に沿って、いろいろな工場や研究所がどんどんつくられていったのですね。その結果、70年代、80年代になるとマサチューセッツはこうしたハイテク産業に支えられ、アメリカ国内でも経済的に非常に優れた州になっていったのです。それは意図してではなく、自然に情報の中心になっていったのですよ。
民主党の大統領候補デュカキス州知事は、まさにこの点を利用したといえますね。ある程度までは彼が政策的にやったのもありますが、もともとは、大学のスピンオフによる工場や研究所が生まれ、自然にそうなっていったというのが正しいのですよ。
山本 そうなんです。北九州は石炭とか鉄鋼とかが駄目になり、非常に落ち込んできています。これをどう転換させていくかが今大きな課題なんですね。私も、ハイテク産業とかサービス産業の振興がカギと思うのです。
大学は九州工業大学がありますが、それほど規模も大きくなく、マサチューセッツのようにスピンオフするためのベースもまだ十分ではありません。そのためにも、まだまだ努力していかなければいけないということですね。
ヴォーゲル 優れた研究所を各県につくっていくことは難しいとは思いますが、やはり工学を応用していくことが大事だと思います。最近の急速な円高をみても、単純労働の時代ではなくなっていくでしょう。エレクトロニクスやコンピュータによる新技術をどんどん取り入れて、古い産業や工場を立て直していく必要がありますね。その点でも、情報の中心である東京とか大阪などとパイプを太くしていくことが必要だと思います。
山本 はい。北九州には空港がない。これもネックの一つです。空港がないと人の交流はないし情報は集まりません。そこで今、海上にジェット機が発着できる新空港の建設を計画しています。また、北九州から大分、宮崎など東九州とを結ぶ高速道路をつくることも緊急の課題と考えております。
ヴォーゲル それは絶対必要ですね。そうしないとハイテク産業は育たない。
山本 マサチューセッツのルート128周辺にハイテク産業が育ったのは、大学のスピンオフのほかに何か政策的な優遇措置はあったのですか。
ヴォーゲル 特別なものはなかったと思います。もちろん道路、電気、ガス設備を整えるということはありましたけどね。
デュカキス知事は、むしろ遅れているところに優遇措置を講じようとしました。例えば、繊維工場があったロウェルやニューベッドなどもっとも遅れて困っているところを優遇して、ハイテク産業を誘導しようとしたのです。
こうした古い繊維工場などはレンガづくりが多かったのですが、今はこのレンガづくりの工場をそのまま使って、コンピュータ会社やショッピングモールができているといった例がかなりでています。歴史を生かしつつ近代化を図っていく、味のある試みだと思いますね。
北九州の場合も、そういう古い工場の建物がかなり残っているので、それを使って何か新しいものをつくってみると面白いのではないですか。
山本 そうですね。おおいに工夫する必要があると思いますね。
■九州はアジア、太平洋の窓口。国際的視野で交流拡大を
山本 ところで、サッチャー首相は、エンタープライズ・ゾーンといって、もっともディプレス(落ち込んだ)した地域でビジネスを始めた企業には、優遇措置を採るという政策を打ち出しました。これをどう思われますか。
ヴォーゲル 政策としてはいいと思うのです。しかし、イギリスの場合はまだまだですね。かえって日本の方がエネルギッシュだと思いますよ。
山本 また、ビジネス・インキュベーター(企業ふ化器)というのが最近流行っていますね。新しいアイデアをもったエンジニアがいても、資金調達とか税務とか労働問題はわからないということが多いので、これらをまとめて面倒みてあげよう、一人立ちするのを助けてあげようというものなのです。これが、アメリカでは非常に盛んだとか。
ヴォーゲル そうなんです。日本では、いったん勤めると同じ会社で定年まで働くというケースが多いのですが、アメリカでは若いうちに会社を辞めて、自分で新しい会社をつくるというのがよくあります。
日本でも、例えば北九州出身の人が大学を出て東京で20年、30年働いた後故郷に戻り、新しいアイデアを試すためにそこに会社や工場をつくるという可能性はあるのではないでしょうか。
山本 まだまだ少ないでしょうが、ぜひそういう方向にもっていきたいものですね。特に北九州の大きな問題は、若者が少ないということなんです。やはり大学がない、働くところがないというのが原因です。これは何とかしなければなりません。ところが文部省は、北九州のような大都市には私立大学の新設は認めないという方針をとっているのですよ。それではということで、アメリカの大学に来てもらったらどうだろうかという話もあります。
ヴォーゲル 山本さんもご存知のマクドゥーガル先生は、ボストン大学の副学長だと思いますので、その辺の可能性も聞いてみたらいかがですか。
山本 ぜひ、そうさせていただきます。そのほか、心当たりがあったら、ヴォーゲル先生にもぜひご協力いただければと思います。
ヴォーゲル わかりました。アメリカの学生には日本に行って勉強したいという人は多いのですが、円高のために住むのも大変で実現しないケースが多いようです。東京近辺ではとくにそのようですね。その点、福岡や北九州では東京より安いので、小さな大学で英語などを教えながら日本のことを勉強する。そのような仕組みを考えていけば、学生同士の交流もうまくいくのではないかと思うんですけどね。
それに、九州はアジアに近く中国などとも縁が深いでしょう。そのような国との関係をどんどん築いていく必要があるのではないでしょうか。九州人は東京人ほど威張っていないし、ほかの地方より国際的な味があると思うのですよ。
山本 そうなんですね。九州はアジア、太平洋の窓口、玄関ですからね。そこで今私が考えているのは、アジア、太平洋の青年を集めて会議をやったらどうかということです。できれば、ホームステイしてもらって三ヶ月ぐらい一緒に生活してもらいたいと考えているのです。
ヴォーゲル それは非常にいい。前に、鹿児島で「唐芋交流」というのもやりました。これもホームステイで大成功した例です。
山本 ちょっと大学の話に戻りますが、今北九州市では、ペンシルベニア大学と研究所設立の話を進めています。アジア関係の研究所なんですが、これができるとほんとうに素晴らしいと思うのですよ。
ヴォーゲル アメリカの大学の立場からいうと、正式に学生を送るという約束をするのがなかなか難しいのです。学生によっては、イエスと言えば一週間後には行けると思い、そうでないとわかるともう止めてしまうというケースがよくあるのです。その意味で学校側としては、責任を負うのが少し怖いということがあります。
最初は、何か毎年会議を開くとかといった形で、実績をつくっていくのがよろしいでしょうね。それから共同研究に進んでいく。外国人と日本人が、同一目的をもって一緒にやるということもよい。そのようにして、国際的な人のネットワークをつくっていくことが必要でしょう。
山本 その意味では、一緒に共同研究をやれるだけの人材を揃えないといけない。人材の養成も大切なことですね。
ヴォーゲル 北九州出身で、東京の大手企業に勤めた人達に協力してもらえないでしょうか。
山本 おおいに考えてみる価値がありますね。
■東京を動かせる力のある人が必要
山本 話は変わりますが、今北九州で注目しているのがピッツバーグなんです。ピッツバーグという都市は、鉄鋼の街からハイテクの街に転換し、三年前に「もっともすみやすい(リバブル)市」に選ばれているんですね。アメリカではピッツバーグの評価はいかがですか。
ヴォーゲル 必ずしも皆に知られている街ではありません。しかし、よく知っているひとはうまく立て直したと評価しています。私達の子どもの頃、40年代の終わりのピッツバーグは、公害のひどい街で亡くなった人もいるほどです。その後、経済的にも悪化していった。それを皆の努力で立て直してきたのですね。
私は、大学の役割も大きかったと思います。カーネギー・メロン大学のサイヤート学長は、非常に大きなビジョンをもって運営しています。例えば、フランスの有名なセルバン・シュベレール(「アメリカの挑戦」の作者)と提携し、毎年半年間ぐらい彼を客員教授として呼んだりしています。サイヤート学長は、日本とも関係を深めたいと思っているし、アメリカの産業の再活性化も真剣に考えています。こういう人が、ピッツバーグにいたことが、大きな助けになったといえるでしょうね。
山本 ヴォーゲル先生も、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」や「カムバック」などを書かれた経験を通じて、北九州の再活性化にご助力いただけたらと思うのですが、そのためカギはどこにあるとおもわれますか。
ヴォーゲル 人材とヴィジョン、それにやはりある程度の中央政府の協力が必要だと思います。空港とか道路とかの建設は、中央政府とくに大蔵省の援助がないとやりにくい。
その天、私は、大分県の平松知事は立派だと思います。彼は東京で人気があるんですね。これは大事なことです。官僚達をどう動かすかが大事なんですが、彼はこれを非常に上手くやっていると思いますね。
また、熊本県の細川知事も平松さんと同じように人気があり、東京を動かす力があります。やはり、ある程度まで東京を動かす力がなければ、活性化は難しいのではないですかね。
北九州市の場合も北九州市出身で東京で働いている人達を集めて、パイプをつくるとかいろいろなネットワークをつくっていくことが必要でしょうね。
山本 最後に、今後の日米関係で日本がもっとも気をつけなければならないことは、どういうことでしょうか。
ヴォーゲル 私が今心配しているのは、日本でナショナリズムが非常に強まっているのではないかということです。日米関係においてアメリカがやらなければならないことはもちろんたくさんありますが、日本側の態度の問題が大きいと思うのです。
例えば、私の知っているアメリカの会社は、日立の下請けをやっていました。その品物があまりよくなかったのですね。すると日立はそこの社長を呼んで、「あなた方の品物は全然駄目だ。一年以内によくならなければ取引停止する」と通告したそうです。アメリカ人の社長はこれにビックリした。そこで「どうしたらいいのか」と聞くと、日立側は一つひとつ直すべきところを教えたそうです。その会社も指摘された点を直していき、一年後には満足できる品物をつくれるようになったということです。私は、こういう建設的なやり方がいいと思うのです。
ところが、これに対してハナからアメリカ製品は品質がよくないから買わないと、決め付けているところがある。こうした態度はよくないですね。日本の企業に対しては、アメリカの企業と取引するとき、まずその点を心掛けてもらいたいと思います。
山本 ところで、北九州にアメリカの企業が進出する可能性はありますか。
ヴォーゲル ありうるでしょうね。アメリカの中小企業は、今いろいろなことを考えています。そのなかには、日本で工場をつくることも可能性の一つに入っています。実は、来週マサチューセッツの中小企業経営者の集まりで、日本に対してどう対応できるかということを発表する予定なんです。
山本 そのときは、ぜひ北九州を宣伝しておいてください。
ヴォーゲル わかりました。山本さんのようなバイタリティのある国際人の活躍が必要です。しっかり頑張ってください。
山本 精一杯頑張るつもりです。今日はどうもありがとうございました。
(1988年4月5日 ハーバード大学ヴォーゲル氏宅にて)