第48話:北九州地域を人材育成基地に ~アジア・太平洋青年会議を~

 

幸ちゃん物語 第48話 (北九州地域再活性化私案編)

北九州地域を人材育成基地に

~アジア・太平洋青年会議を~

 前節の人材養成とも絡むが、北九州地域の活性化策としては、国際化の推進も重要な項目である。とくに、かつて北九州は、アジア・太平洋への玄関でもあったので、アジア・太平洋に目を向けた国際化が叫ばれている。しかし、これまでのところこの分野での取り組みは、関西などに比べ、一歩も二歩も遅れを取っていると言える。思いきった国際化推進策が要請されている。

そうしたなかでも、青年会議所が主導したKITAプロジェクトは、時宜にかなって実に素晴らしいものと思う。アジアの若者を招き技術訓練を経験してもらう試みは多くの人々に共鳴を与え支持された。これが、このたび国際研修センターとして実を結んだというのは誠に喜ばしい。こうした着実な努力を重ねていくことが、真の国際化のために不可欠なことである。

*KITAプロジェクト: 1980年に(社)北九州青年会議所、北九州商工会議所、(社)西日本工業倶楽部等の民間団体を設立母体とし、北九州市、福岡県の協力の下に、北九州地域に蓄積された工業技術を発展途上国へ移転することを目的に、(財)北九州国際研修協会を発足。1992年に(財)北九州国際技術協力協会へ改称し、現在、独立行政法人国際協力機構(JICA)の「九州国際センター」からの受託を主体に、約50の集団・個別研修コースを実施するとともに、国際技術協力に関する調査、コンサルティングサービス、開発企画の支援、情報の収集・提供等、広範な技術協力を展開している。

 ところで私は大蔵省時代、国際的な人的ネットワークの形成に携わったことがある。実は、大蔵省は三年前に日本としての長期的国家戦略を考える必要があるとして、財政・金融研究所と研究情報基金(社団法人)をつくり、これに当たることになった。その実務を私が担当したのだが、最大の仕事は、世界中の超一流の学者を中心としたネットワークづくりであった。このため世界各地の大学や研究所を訪ね、交渉を重ねた。その結果できあがったのが、後掲のアソシエート・メンバーのリストである。

 今や、大蔵省には、これらアソシエート・メンバーや彼らに推薦された若手の学者がひっきりなしに訪れていて、世界の最前線の質の高い情報が集まるようになっている。そのうち、彼らの何人かに北九州にも足を延ばしてもらい、北九州の方々と意見交換する場をもちたいと思っている。そうしたことが、国際化を進める重要な一歩になる。

 ここで私なりに考えたとっておきのプロジェクトがある。それは、アジア・青年会議を北九州で開くことだ。実は、アジア・太平洋に関する会議は、この五月大阪で開かれたPECC (太平洋経済協力会議)をはじめ、各地でいろいろ行われている。その際、共通してどこもアジア各国の著名な学者を集めようとする。その結果いつもだいたい決まった大御所が名を連ねることになる。

 ところが、彼ら大御所に聞いてみると、「実は、自分の弟子で若くて優秀な学者が是非日本に行ってみたいと望んでいるのだが、彼らには全く声がかからない。彼らを招請してくれるととてもうれしいのだが」と言うのである。私はこれだと思った。

 そういう、まだよく知られていないが、若い優秀な学者を各国から二、三人ずつ招いて三ヶ月ぐらいホームステイしてもらう。テーマ毎にペーパーを書いてもらい、三ヶ月お互いに徹底的に討議し合う。最後にコンファランスを開いて公開討議し、ペーパーの最終修正をする。そして、ペーパーをまとめ本を出版する。

 よく新聞社などが一日か二日のコンファランスを開くが、この手のものには、あまり中身がないことが多い。報告者は喋りっぱなしだから、ちゃんとした準備もせず適当にお茶を濁すこともあるからだ。しかし、自分の報告が本になって残るということになるとそうはいかない。いきおい真剣にならざるを得ない。ちゃんとした国際会議はこのように必ず記録をのこすものだが、日本で開催される会議でこれを実行するものは少ない。

 また、ホームステイすることによって地域の住民も、アジア・太平洋の人々と普段着の交流ができよう。さらに、日本側の青年との徹底した討論を通じて、彼らも日本人に対する理解を深められるし、日本側も彼らの考えがわかるようになるだろう。

 こうして得られるメリットは計りしれない。北九州地域の真の国際化が着実に図られることになろう。また、彼らは、十年後、二十年後の各国のリーダーとなることは間違いないので、そうした各国指導者の間に親北九州意識をもってもらえるようになる。そうなれば今は遅れているアジア・太平洋への窓口という地位を、将来北九州地域は奪回しうるのではないかと強く確信する。

 このアジア・北九州青年会議は、何としても、近い将来実現したい。賛同していただける方、協力していただける方を多数募りたい。

 以上、地元、北九州地域再生のための処方箋について私の考えを述べてきたが、もちろんこれですべて言いつくしているわけではない。

 各地域のそのほかの懸案について、本書では触れることができなかったが、しかし私自身それぞれの問題について、おおいに関心をもっている。それらについては、なお、勉強しなければならないことも多い。

 今後、関係者のご意見も十分に聞かせていただき、私の考えをまとめていきたいと思う。
 ただ、基本的な観点はローカル・ホロニックスの考え方で、それぞれのプロジェクトが個性と多様性を発揮しながらも、全体としては調和がとれた魅力ある街づくり、地域づくりができるような方向で考えていきたい。

 ともあれ、北九州に生まれ、育ち、生活する多くの方々とともに、私は活力ある北九州地域づくりを考えていきたいと思っている。大蔵省時代のさまざまな経験、そしてアメリカで現在政治・経済の中心にいるかつての大学院・研究所の友人たちとのネットワークを駆使し、故郷北九州のために尽力したいと、新たなる決意を表明したい。